いつかの話




「あま…」
「あら、それはおじいさま用よ?あなたのはこっちよ」
「?ココアって、砂糖が入ってるものじゃないのか?」
「入っているものもあるけれど、これは無糖だもの。牛乳の甘さだけじゃちょっともの足りないわ」


ナナミが手にしたものは、シジマのものと同じパッケージ。
甘いものが特別好きではないグリーンには砂糖無しでちょうどいい甘さに感じるが、


「……ナナミ姉さん、スティックの砂糖ってあったか?」
「え?沢山あるけれど…調理実習でもするの?」
「いや、…あぁ、そうなんだ」




いつかの話






「…がさねの かがみもち」


その歌(?)は、渡り廊下からでも聞こえた。


「かざりにツノも つけましょう」


括弧クエスション括弧閉じるをつけたのは、二階から響く吹奏楽部の演奏に所々掻き消されていることもあるし、歌というには調子外れなこともあった。


「おっと!ツノに」


陽気に鼻歌を歌っている時点で美術室に彼女以外誰もいないことが分かる。
ノックをせずに扉を開く。教壇に立ち、黒板にチョークを向けている横顔が、音に反応して振り向いた。

( ゚д゚ )


「……聞いてた?」
「……聞こえた」


瞬きも忘れてこちらを見るに、グリーンは容赦なく返した。
かっ、との頬が赤く染まる。


「…カモメがさかさに とんできて」


それでも続けるのか。計り知れない女だ。


「ピカッ とかみなり はい、     どうよ画伯の腕前。ピ○ソもびっくりじゃない?」


そう問いかけられ、扉付近に突っ立っていたグリーンはやっと足を進めることができた。
の隣に立ち、黒板を見やる。


「…なんだこれは」
「なんだと思う?」


なんだと聞き返され、改めて黒板の絵を見る。黄色のチョークを使って描かれたこれは、


「……………………ねずみ?」
「その無駄に長い間が気になるけど。そう、ねずみ。可愛いでしょ」
「さっきのは?」
「シカトかこのやろう。絵描き歌だっての」


それからチョークを置き、粉で汚れた手を叩き払ってから、は向き直った。目を細め、穏やかに微笑む。
それだけで少女の印象はガラリと変わった。この姿だけを見れば、優等生にも良家の子女にも見える。 しかし、生憎とこれはブルーがよくして見せた顔だった。大抵の場合はイラついており、理不尽な『お願い』という名の命令を用意していた。グリーンのトラウマが走馬灯のように過ぎる。しかし、幸運といえばいいのか、この少女がどんな願いを腹に隠していたとしても、現時点でグリーンがそれを叶えてやる義理はなかった。ただし心理的ファイティングポーズは解かない。


「それで、何か御用ですか?お忙しいはずの実習生さま」
「…いや、実のところ、用らしい用はない。これを渡したかっただけだ」


そう言って手渡したものは、ココアを注いだマグカップ。 紙コップはあまりに味気ないと、家から使っていないものを持ってきた。わりかし素直に受け取ったものの、それを見下ろして、はまず押し黙った。本意を見据えるようにじっとマグカップの中身を見つめると、ややあって、薄く唇を開いた。


「……餌付けしようとか思ってる?」
「昨日中途半端なモノを渡してしまったことが気にいらないだけだ。他意はない」


その気持ちは本当だった。甘いものがココアなら、昨日渡したものはココアでないのだ。確かに今日の朝までココアの一般的な甘さは知らなかったが、ココアも知らない男と誤解させたままでいるのはグリーンには甚だ心外であった。 第二に、……これこそ重要であるはずだが……シジマとの約束をまったく果たしていない。けれど今のグリーンにとって、第一の問題に比べれば非常に些細な問題だった。

一見格好良さ気だがとても格好悪いのでどうか読み違えないでいただきたい。

閑話休題。
そんなグリーンを射るように見るだったが、身じろぎもしないで見つめ返すグリーンに、しばらくしてふぅん、と息を漏らして視線を落とし、マグカップに口をつけた。

二人きりの美術室に、嚥下の音が響いた。

口を離す。しかし黙したまま、は手元を見下ろしている。グリーンに緊張が走った。
…いや待て、緊張はおかしいだろう。どうして緊張するんだ。牛乳に粉末ココアと砂糖を入れるだけなのに、失敗しようがないだろう。いや、ひょっとしてひょっとすると、


「…美味しい」


その言葉に、グリーンは無意識に詰めていた息を全部吐いた。なんだこの『認められた感』。生まれて初めて味わった感覚に戸惑う。 といえば、さっきのタメは何だったのかと思う勢いでマグカップに口付けている。
そうして半分ほど飲んだところで、はマグカップを教卓に置いた。


「ねぇ、こんなところに来る位なんだから、時間あるんでしょ?わたし暇なんだ、少し付き合ってよ」


その言葉に、グリーンは考えることなく首肯した。少しでも考えるそぶりを見せたならば、この少女はすぐにでも撤回するだろうと思われたからだ。 それから高速で今日の予定を思い返す。この時間、シジマは剣道部の指導に当たっている。指導案の再再提出は下校指導後だ。作りかけの教材は30分もあれば完成する。だったら、あと40分は可能だ。

グリーンが頷くと、はマグカップを手に教壇から降り、生徒用の椅子に座った。カップを置き、足を組む。「座ったら?」、グリーンもまた教壇から降り、通路を挟んだ隣の席の椅子を引いて、腰を下ろした。


「改めてまして、私は。愛称は特になし。シジマ先生には名前呼びされるけど、普通は。おにいさんもこっちでよろしく。はい質問タイムスタート」


……この女、何から何まで唐突すぎないか。


「その呼び方、止めないか?オレの名前…かニックネームは覚えてるだろ」
「わあいきなり2つきたね。一つ目、止める気ない。しいていうなら『実習生』ね。二つ目、覚えてるよ。けれど変える気はないかなー」
「何故」
「あなたの愛称と同じ名前の人がいてね。わたしにとってその人は大切な人だったから、名前も特別」


「…しかたないなぁ。じゃあわたしからひとつ。今日ここに来たのは、シジマ先生の意思?それともあなたの意思?」
「オレの意思だ。…そう、『君に会いに来たんだ』、だったか」
「わあそれほんとに言っちゃうの?おにいさん恥ずかしい人だね」
「………」
「そのお前が言い出したんだろ的な顔やめてね。――知ってる?平安時代はね、3日間男が女のもとに通うことで、結婚が成立したの。まぁそれはただの豆知識なんだけど、普通に疑問よね、どうして登校拒否のわたしと、実習生のあなたが3日連続会うのかな」


別棟で活動する部は三つ。一つ目、2階の吹奏楽。二つ目、3階の調理部。そして三つ目、1階の美術部。


「初めは活動見学か、昔とった何とやらで指導するついでに寄ったのかと思ったけど、どれもおにいさんには似合わない。わたしか!って思ったとしても、自意識過剰じゃないよね」
「思ったのか」
「うん。自分が恥ずかしい。しかももう一回くらい顔見てもいいかな、なんてのも思った」


独白の合間あいまに溜息が漏らされたが、どちらのものともつかないほど、何故か二人揃って溜息をついていた。もしこれがなかったら少しは色の、危険のある会話に移っていたかもしれない。しかし二人は相手をそういうものとして意識することさえ一片も思い及ぶことなく、昔からの知り合いだったかのように滑らかなやり取りを続けていた。
次に口を開いたのはグリーンだった。


「だったら『生徒を思うなら』なんて、」
「あれは…そう、ちょっといじめたくなっただけだよ」


おにいさん真面目だから、考えて考えて、頭ごちゃごちゃになったでしょう?
心の中を覗いたように見事に言い当てたにグリーンは苦々しい気持ちになったが、そんなグリーンを見て「当たったみたいね」とカラカラと笑う彼女に、思わず気が削がれる。


「特別じゃないけど、わたし、おにいさんのことは嫌いじゃないよ。暇だったらまた遊びにおいで」

2011.09.20. up.

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