いつかの話




「え、さん?」

「気になるなら、放課後にでも美術室に行ってみたら?」
「美術室?美術準備室じゃないのか」
「あの人ね、美術部員なんだよ」




いつかの話






「いい人だよね。全然授業出ないし留年って聞いたから怖い人かと思ってたんだけど、そんなこと全然無いし」
「そうそう。美術準備室の近くの階段でクラス全員分のノート落とした時、わざわざ拾いにきてくれたし」
「グラウンドにめっちゃでかい野犬が出て、ミキが襲われた時、さん助けてくれたよね。上靴のまま走ってきて」
「あーあれビビったよね。最初狼だと思ったもん。でもさん全然怖がってなかったよね。最後は手なずけてたし」
「そうそう、『おすわり』させてたよね。あの時のさんの迫力、超凄かったんだよ!!」


生徒のことは生徒に聞くのが一番、と言われ実行してみたものの、出てくるのはヤンキー漫画に出てきそうな武勇伝ばかりである。 もっと内面に関わることは無いのか、と思っても、この年頃の生徒の前でそう口にすることは憚られた。

今日の授業の反省会は終わった。授業中と反省会中、一回目にして二度心が折れそうだったが、あれでも抑えてもらったと思う。 実習記録は帰ってから書こう。今日はじっくり反省しなおしたい。校内施錠は当分先だ。下校時刻までもまだ猶予がある。そしてこの訪問は、シジマの許可を得てのことだ。


「だからといって策も立てずに挑むのはどうなのか」


別棟一階、美術室。隣にはかの美術準備室がある。ノックをして待つ。待つ。待つ、
しばらく待っていると、「勝手に入ればいいのに」、という呟きと共に扉が開いた。

目が合った。すぐに全力で扉が引かれるが、すんでのところでスニーカーを挟むことに成功する。ただし革靴でないからか物凄く痛い。あと2センチ差し込みが遅かったら確実に小指がイカれていただろう。そんな勢いだった。いっそイカレさすつもりだったのかもしれない。不慮の事故扱いで。そう思わずにいられないほど、彼女の行動には鬼気迫る何かがあった。
この悪徳業者が、に始まりひとしきり悪態をついた後、靴一足分の隙間の向こうでは顔を上げた。


「…耳、やばいの?それとも頭?私来ないでって言ったよね?いい病院紹介してあげるよ、ちょっと黄色い救急車乗ることになるけど、まぁ駅近だから」
「黄色の救急車は都市伝説だ」
「え?わたし乗ったけど」
「…………」
「……いや、見た、だけ、かな」


へら、とあの笑みを浮かべる。溜め息が漏れた。


「…ココア、冷めるんだが。出直した方がいいか?」
「は?…おにいさん、わたしがそんな餌に釣られると、」


無言で扉の隙間から紙コップを差し出すと、過たず扉が開いた。今まで両手で押さえていたのを片手にしたのだから、グリーンの力でいとも簡単に開けられたのだ。全開となった扉の先には、早くも半分はココアを呷ったと、


「?他の部員は、」
「幽霊さんは4人いるよ。文化祭とかコンクール前じゃなきゃ、大抵私ひとり。ぼっちってやつだ。まじファッキン」


なるほど口が悪い。しかし機嫌は良さそうだ。よほどココアが好きなのか、それとも他に理由があるのか。
侵入を果たされた以上どうでも良くなったのかあっけらかんと言うを尻目に、グリーンは戸惑う。

幽霊部員は珍しくない。文化系部活には特に多い。兼部しなければ最低基準の5人を越えず、廃部になるからだ。 しかし美術部はどんな生徒の集う学校でも、需要がある部だ。ただ一人の生徒が活動するだけ、とは思えない。グリーンの一つ下の幼馴染の一人はこの学校の美術部員だった。その時だってもっと部員がいたはずだ。


「現実見ようよおにいさん、今ここに私以外に誰か見える?見えたら耳鼻科脳外科に、眼科も通院候補だけど」


でもわたし眼科にはお世話になったことないから紹介できないんだよね。視力2.0越えてるから。
一言多いどころか、マシンガンのように続く少女の言葉を右から左に流して、グリーンは口を噤んだ。 それともこの女が追い出したというのだろうか。だが振ればカラカラ音がしそうな頭のこいつに、部員を追い出すような力があると思うか?


「…いや、無いな」
「うわ何この人。人の顔見ながら全否定しないで欲しいな!」


しかしこれが本当のとも限らないのだ。
人は簡単には変わらない。 真面目で優等生だった、軽薄で調子のよい。どちらが、いや、どちらでもない彼女がいるとしても。本来の彼女を探るのが先だ。

しかしどうしたものか。有効な手段がまるで思いつかない。


「…ねぇ、何かあったの?」
「なにが、」
「すごく疲れてる。ここで無駄な時間を潰すくらいなら、早く家に帰ったら?」
「!」

元来グリーンは滅多に感情を表に出さない。
シジマにさえ隠し通せたそれは、昨日今日会ったばかりの女に見破られるようなものではなかった。気を抜いていたわけではない。実習生としている間は、学生気分は捨てようと常に気を張っていたのだ。 それなのに、嵐は自分の直感が正しいと信じきって、心配しているとも取れる言葉を口にしている。そしてそれは事実だった。しかし、だからといって認めるわけにはいかなかった。今日でいえば、職員会議が終わるまでは帰りたくとも帰れない。好きな時間に登校して好きな時間に下校する彼女と自分は何もかもが違う。


「キミには関係ない」
「…そう。用が無いなら、出ていって。いい加減、活動始めたいんだけど」






「――わたし、もうちょっと甘い方が好きなんだけどなぁ…」

2011.09.20. up.

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