いつかの話




…ふざけてる。 冗談じゃない、なんで『あなた』が『ここ』にいるの?
それとも、これがわたしの望みだっていうの?だったら、あの子たちを捨てたわたしって、何?




いつかの話






別棟、一階、美術準備室。ここが某生徒の居場所だという。
普通は保健室や生徒相談室じゃないのか。そう尋ねると、シジマは「人がいるところは好きじゃないそうだ」と答えた。だからといって完全放置はアリなのか。

生徒は両親との3人暮らし。教室拒否の我が子に対して両親は寛容的で、親子仲は普通。
生徒の入学時の成績は中の上。目立つタイプではないが真面目な性格で、いわゆる優等生だったという。周りからの信頼も厚かった。 しかし3年になって早々、交通事故に巻き込まれ入院。復学後は時々人を食ったような態度を取るようになり、教師に反感を抱かせることもある。そして、単位を落とさない程度には授業に出るものの、ほとんどはこの場所にいるという。

要するに、一年ダブった、2つ下の後輩なわけだ。 グリーンが3年の時に某生徒は1年にいたはずだが、彼女の名前に聞き覚えはなかった。

まぁお前なら大丈夫だろうが、会いに行くなら覚悟しておけよ。とシジマに豪快に叩かれた肩が痛む。
覚悟がいるほど扱いにくい生徒なのか。手に負えるのか、オレに。扉に掛けた手が柄にもなく強張った。

美術準備室の扉に施錠がされていないのは確認済みだ。 というのも、グリーンがこの学校の生徒だった頃からこの部屋の鍵は壊れていたからだ。2年の内に直せばいいものを。非行少年の溜り場をわざわざ作るようなものじゃないか。


慎重に、扉を開く。

まず目に入ったのは、乱雑に置かれた道具。油絵の具と埃のにおいが鼻についた。「最後に整理したのはいつだ」、記憶に残っていない美術教師に脳内で問いかける。 …いない、か?大抵はここにいると聞いていたが、どこかへ行ったのだろうか。生徒にとっても学級担任であるシジマの許可がある以上、グリーンは居座っても構わない。しかし在学時代にまるで縁の無かったここは、グリーンにとってなんとも居心地の悪い場所だった。出直そう。 そう結論づけて踵を返した時、石膏像の林の中から一人の少女が現れた。

目が合う。その瞬間、グリーンはバチッという音を聞いた。同時に、この女とは長い付き合いになると直感が叫んだ。

予想を裏切って、少女は至って平凡な生徒だった。校則より短いスカート。スクールリボンを緩めに下げ、シャツのボタンを1つ開けている。 ただし教師も見逃す程度の違反だ。この学校にはもっと際どい格好の女生徒が少なくない。

お互い未確認生物に遭遇したようにまじまじと見つめあったが、先に冷静になったのは少女の方だった。ぱちぱちと瞬きしてから警戒するように目を細め、スカートのポケットから携帯を取り出した。


「…おにいさん誰?不審者?通報していい?」


視線をはずさないまま1、1、0、と指を動かす。あとは通話ボタンを押せば成立だ。通報が、だ。
少女の瞳からは、それが本気かどうかを窺い知ることはできない。しかしこの年頃の子どもには、ノリや遊びで通報する者がいる。勿論グリーンはこの学校の実習生だ、不審者でない証明はいくらでもできる。しかし少しでも警察に関わるということは避けなければならない。グリーンは少女の手から携帯を奪い取って、電源ボタンを長押しした。画面がブラックになる。少女はそれを黙って見つめていた。焦りも怒りも浮かべず、ただ見つめているのは奇妙ではあった。


「教育実習生だ。携帯の校内所持は校則違反、知らないのか」
「おにいさんこそワックス使いすぎじゃない。ワックスの使用は校則違反、知らないの?とがりたい年頃なの?」
「あいにく地毛だ」


そりゃ失礼。今度は笑みらしいものを浮かべ、少女は手を差し出した。
その目にはもはや敵意はなく、むしろしらけた色をしていた。突然の闖入者に対して、早くも関心を失ったようだった。グリーンはその手の上に携帯を返すことにした。赤、青、緑、黄、他にも色とりどりのガラス球が連なったビーズストラップが、手からこぼれ落ちて音も無く揺れる。


「はいどーも。けどね、わたしの『コレ』にはちゃんと許可が下りてる。一人で居て、いつ不審者と遭遇してもいいように。だから誰かに言っても無駄だよ、おにいさん」
「オレは――だ。」
「は?」
「オレの名前だ。発音のしづらさから、大抵は『グリーン』と呼ばれる。――の意味が緑だからだ。君の名前は?」


気づけばグリーンは自分の名前を口にしていた。

彼女の名前は知っている。 しかし、一方的に知っているこの現状は、グリーンにとって好ましいものではなかった。 そうでなくとも、珍しい名前、日本人には無い愛称でこの可愛げのない少女の関心を引けさえすれば、少しは己の自尊感情も満足できるのではないかと思った。その結果、グリーンは今更ながらに自分の名前を口にすることになった。 そのとき、彼女の目がぱっと色づいた気がした。 気のせい、だろう。瞬きを繰り返す彼女の目は、改めて見ても何も映してやいない。無味無臭、有色透明。しかし律儀にも、ぐ、りー、ん、と一音ずつ確かめるように口を動かす彼女の姿は、幾分かグリーンを満足させた。


「えらく堂々とした迷子と思ったら、ナンパですか。なにこの人こわい。シジマ先生助けて」
「残念ながら、そのシジマ先生に紹介されて来たんだよ」


ぇ、とかすかに咽喉を震わせ、少女は止まった。 眉を寄せ、視線は空をさ迷っている。いま頭の中を覗き込めば、シジマに対する罵詈雑言が溢れかえっているのだろうか。しばらくして少女は目を細めて「あの人らしい、」と溜息をつき、グリーンに視線を戻した。


「おにいさんも馬鹿正直ね。ここで嘘でも『君に会いにきたんだ』とか言えない?」
「オレが目指しているのはホストじゃないからな」
「教師になりたいなら、嘘と分かってても慰められたり救われる人間がいることを知るべきよ」


シジマ先生は教えてくれなかったの、と口端をあげ、少女はグリーンの胸を突いた。 突然のことにグリーンは後ろによろめき、たたらを踏む。


「私は。グリーン先生?生徒のことを思うなら、二度とここには来ないでね」


大きく体勢を崩したグリーンの横をすり抜けて、少女は足早に駆けていった。

2011.09.19. up.

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