「何が…どうなってるの……」
目の前で行われる攻防に、ヒカリは目を見張った。
こんなバトル、見たことが無い。
強いトレーナー同士のバトルなら、旅の途中、何度も見たはずだった。
そして、ヒカリ自身もバトルフィールドに立ったことがある。
コーディネーターとしてでなく、トレーナーとして。
感じるものは、全く違った。迸る熱。一瞬で決まる結果。全身を覆う緊張。それは今でも強く心に刻まれている。
それでも、この、全てを貫くような、痛みを伴う緊迫した空気は。
思わず隣に立つサトシに顔を向けるが、彼はバトルを目で追いながら拳を震わせていた。
寄り添うように立つピカチュウが気遣わしげに見上げ小さく鳴くが、それに気づくことなく、ぎり、と唇を噛む。
「シゲル…」
2戦目、エレキブルvsグライオンのバトルは相打ちに終わった。
電気技が一切効かないグライオンにシンジの勝利は絶対と思われたが、シゲルはタイプ相性さえ覆すバトル展開を見せ付けた。
そして、3戦目。
カメックスvsマニューラ。
「マニューラ、『れいとうビーム』!」
「カメックス、『ハイドロポンプ』だ!!」
氷の帯を、激しい水流が突き破る。
そして咄嗟に作らせた氷壁さえも壊し、シンジとマニューラに激流が迫った。
感じさせられる圧倒的なパワー差。
身を翻しながら、シンジは舌打ちした。
「マニューラ!」
今にも水流に飲み込まれるばかりだったマニューラは、シンジの声に、自ら水中に潜った。
マニューラがいた場所を鉄砲水が流れていく。
一瞬、マニューラの姿が視界から消え。
「『ひみつのちから』!」
「!!」
水が勢い良く割れる。
その間から飛び出すマニューラ。
「マニューラ、『つじぎり』だ!!」
「…ッ!カメックス!!」
迫り来る爪に、カメックスは甲羅に篭もろうと試みる。
しかしその寸前に爪が届いた。
腹甲の砕ける鈍い音が響く。
「――カメックス!!大丈夫か!?」
「ガメッ!!」
衝撃で吹き飛ばされ仰向けに転がったカメックスは、シゲルの声に、勢いをつけて立ち上がった。
腹甲の中心部分は砕かれ見るからに痛々しいが、その目に宿る闘志は消えていない。
見つめるシゲルに頷き返すと、臨戦態勢を取るマニューラを睨みすえた。
「『ハイドロポンプ!!』」
「…ッ!――勝者、シゲル!!」
「シンジ」
差し出された手を無視して、シンジは背を向け、歩き出した。
「『何かの間違いだ。研究者相手に俺が負けるはずが無い』…ってところかな、今キミが思ってること」
「ッ!!」
思わずシンジが振り返ると、手を開閉させていたシゲルが視線を上げて、にこ、と笑いかけた。
案外キミも分かりやすい人間だよね、と言いながら。
その言動は終始穏やかであるのに、纏う空気には棘がある。それも、向けられた者にしか分からない微妙なもの。
「でも、これが結果だ。分かったかい、キミの戦い方は一介の研究者にも劣るんだ。キミが笑った、『信頼関係』にね」
「シゲル!さすがに言いすぎだぞ!!」
己の手を強く引く人物に気づいて、シゲルは先ほどまでとは全く温度の違う笑みを浮かべる。
眉を寄せ、物言いたげに見つめるサトシの帽子を取り上げる。
途端に上がった非難の声は聞こえないふりをして、指先で回す。
「サトシ、僕の嫌いなことって知ってるよね?」
「シゲルの嫌いなこと?」
「答えられないなら、帽子は返さないよ」
シゲルの言葉に、腕を組んで考えるサトシ。
「えぇと…まず、負けることだろ。それから、…ポケモンを、」
「ポケモンを非道に扱うこと。この二つを、僕は絶対に許さない。だから、僕はシンジを許すことが出来ない。…もちろん、無関係の人だったらここまでしないんだけどね」
え?と首を捻るサトシに、合格、と帽子を手渡して、シンジに向き直る。
「サトシのライバルがキミで、がっかりしたよ。見えるものしか信じないなら、キミの成長はここで終わる。サトシはもっと強くなる。キミよりずっとね。シンオウリーグで戦う時、勝つのは間違いなくサトシだ。こんなのでも、僕の元ライバルだからね」
でも、と。
眉を吊り上げて怒るサトシを片手でいなしながら、シゲルは続ける。
「僕も少し思い違いをしていたみたいだけどね。キミとエレブーの中には、間違いなく絆があった。キミは気づいてないようだけど。エレブーが正気に戻った時、彼は間違いなくシンジ、キミの声に反応していたよ」
「……お前には関係ない」
再び背を向け、若干早足で歩き出したシンジを次は無言で見送る。
森の中に姿が消えたとき、
「そうだ、サトシ」
振り返って、不思議な顔でシゲルを見上げていたサトシに向き直る。
びくり、と震えて驚いたように目を瞬かせる。
「な、何?」
「…キミこそ、何だい?」
「シゲルが人を褒めるなんて珍しいなぁって…イ゛ッ!おい、殴ることないだろ!!」
「キミが失礼なことを言うからだ。それに…あれを褒め言葉と受け取るのなんて、君くらいだろ?」
遠巻きに眺めていたタケシとヒカリに目を向けると、二人とも手をはたはたと振る。
同意、の意だ。
「でも、ちょっとはシンジのこと見直してただろ?」
「…まぁ、ちょっとはね。それより、バトルフロンティア制覇、おめでとう。あの時はちゃんと言えなかったからね。今ここで言うよ」
「あ、ありがとう。って、え!?は、ちょ、き、聞き間違いだよな!?シゲルがおめでとうなんて言うなんてイ゛!!…ったー……」
先ほどより強く叩かれた頭を抱えて、サトシが蹲る。
その横に立って、シゲルは両手を腰に当てながら覗き込んだ。
「いいか、この僕に恥をかかせるないでくれよ。シンジに負けることは、絶対に許さない。それからポケモンマスターになる夢を諦めることも、立ち止まることも僕は許さない。分かったかい?」
その言葉に、サトシは勢いよく立ち上がるとシゲルを見据えた。
「当たり前だろ!俺はもうあいつに負けない!!そしてポケモンマスターに絶対なるんだ!!」
だから立ち止まるのはこれが最後だと、サトシは言い切る。
その顔に、あの時見せていた暗い影は無い。溢れるばかりのやる気と輝きに満ちている。
「――あっ、おい、もう行くのかよ!?俺とバトルしろよ!!」
背を向け、森へと歩を進めたシゲルの背を、慌てた声と足音が追いかける。
「勘違いするな。僕はトレーナーじゃない、研究者だ。キミはキミの道を行け。僕は、この道を極めてみせるさ。いつか、おじいさまのような優れた博士になるために。次に会うのは、お互いに夢を叶えてからだ。――さよならサトシ、会えてよかった」
シゲルは決して立ち止まろうと思わなかった。そして振り向こうとも思わなかった。