部活棟、一階の一番端の教室。
そこにトレーナー部の部室はある。
部員数の割に大きな部室で、徒歩一分の距離にはトレーナー部専用のバトルフィールドも完備してある。
無数に存在する部活動団体の中でも飛びぬけて恵まれた設備を持っているが、それでも苦情が出たことは一度もない。
答えは簡単、黙らせるだけの実績を毎年出しているからである。
「――こんにちは。…あれ、まだレッド先輩だけですか?」
ドアの開閉音と、少し驚いた風の声に、レッドは手元から顔をあげた。
わずかに目を見開いたままドアの前に突っ立つルビーの姿を目に入れて、それからこんにちは、と微笑みながら椅子から立ち上がる。
とん、とん、と規則正しい足音が部室に響いた。
「ええと…ブルーとグリーンは委員会だろ、ゴールド達は補講だったかな。あとは連絡無し。それから先生はいつも通り。にしても、ルビーがこんなに早いのも珍しいよな。…あれ?サファイアは一緒じゃないのか?」
「彼女は前回の筆記を落としたので。少し遅れます」
へぇ、それはまた珍しいな、と呟きながら、レッドは手に持っていた雑誌を棚に戻し、少し考える素振りを見せたあと隣の雑誌を取り出した。
ここから文字は見えないけれど、確か表紙には『ポケモン進化論』と書かれているはずだ。
部費で購入されたその雑誌は有名な学術誌であるが、あまりに分厚いのと専門外であることからルビーは最初から興味を持たなかった。
レッド先輩、そういうの読むんだ…。勉強はあまり好きじゃないって聞いてたけど。
若干失礼なことを考えながら、手近にあった机に鞄を置く。
そしてルビーは椅子に座り、再び目線を落としたレッドを盗み見た。
「漢字が読めなくて、問題に答えられなかったそうです」
「あぁ、歴史学の先生だろ?あの人、読めるかどうかってギリギリラインの漢字出すもんな。中等部のテストなのに記述が多いしさ。あの先生のテストは俺も苦労したぜ」
結局グリーンに頼み込んで試験対策してもらったんだよな、と目を細めて笑う。
それでも瞳は左右に動いているから、ちゃんと雑誌は読んでいるんだろう。
器用な人だ。
胸中で呟きながら、鞄を引き寄せた。
「あれ、ルビー…?」
「何ですか?」
もくもくと編み針を動かしていたルビーは、レッドの声に顔を上げた。
目線の先では、レッドが首を傾げている。
手元には先ほどの雑誌。閉じられているから、読み終わったのだろう。
時計の長針は半周していた。
「…眼鏡してたっけ?」
「あぁ、これですか?いつもはコンタクトなんですけど、今日は調子が悪くて」
眼鏡を取り外してみせたルビーに、ふぅん、と呟き、レッドは立ち上がった。
そしてわざわざパイプ椅子を運び、ルビーの正面に座る。
もの珍しそうな目をして、レッドはルビーと眼鏡を交互に見た。
「でも、さっきはしてなかったよな?」
「…あまり人前で掛けたくないんですよ」
別に見えなくもないですし。
小さく呟いて、机に眼鏡を置いたルビーに、ちょっと触っていいか?とレッドは興味津々に眼鏡へと手を伸ばした。
「うーん…俺には似合わないなぁ。わ、何だこれ…くらくらする……」
「いや、結構似合ってますけど……。それ、度が強いから、レッド先輩のように視力がいい人はあまりしない方がいいですよ」
「みたいだな」
視界が急にクリアになったかと思うと、頭に重みを感じた。
反射的に顎を上げると、立ち上がったレッドが、ぽん、とルビーの頭に手を置きながら笑っている。
「うん、ルビーは良く似合ってるよ。格好いい」
どくん、と胸が高鳴った。
くん、とネクタイを引っ張る。
つんのめるようにしてレッドはルビーに引き寄せられた。
瞬きの音までが聞こえそうなほど、近づく。
ルビーはじ、とレッドの真っ赤な瞳を見上げながら、呟いた。
「先輩」
「な、何?」
似ているようで、二人の色は全く違う。
「僕がどうしてここにいるか分かりますか?」
「こ、ここ?ええと…『離れている間にNANAたちがどうなるかと考えると!!ここに入ればポケモンを所持していていいんですよね!?』だっけ?入部試験の時、そう言ってたよな」
「………」
あまりの鈍感っぷりにルビーの力が抜けた。
けれど、この人の鈍感は周知の事実だ、と何度も心中で呟いて持ち直す。
「言い方変えます。…どうして僕がこの学園に来たのか、分かりますか?遠い遠いホウエンから、わざわざカントーに引っ越して来た理由」
「え……?」
ぱちぱちと瞬きをして、それから目線を外そうとするのを、ルビーは更にネクタイを引っ張ることでとどめた。
そして、そのまま、
「――貴方がいたからですよ」
触れるだけの、
「レッド先輩、遅くなりましたー!!……ってあれ、レッド先輩どうしたッスか!?」
「失礼します。…どうした、ゴールド」
「よ…。ゴールド、シルバー…。遅かったな……」
「ちょ、先輩、顔が真っ赤っスよ!?しかも床に座り込んで…あぁ!熱、熱ッスか!?シルバー、早くニューラ出して氷嚢作れ!!レッド先輩、ちょっと力抜いてくださいね。寮まで送りますから」
「だ、大丈夫だから!ゴールド、あんま騒がなくたって心配いらない!!」
「レッド先輩、ここに誰かいませんでしたか?」
「えっ!…と、いやまったく…そのー……」
「シルバー、どういうことだよ?」
「この毛糸の切れっ端、どこかで見たことあるような気がしないか?」
「そ、そんなこといいから!ほら二人とも、早く準備しないとグリーンが煩いぞ!!今日は来月の大会に向けての練習だっただろ!?」
「あ、そッスね!シルバー、今日は俺が勝つからな!」
「フン。まぐれに頼らなくてもいいようにな」
「うっせー!!」