――また暗くなった。
は漂いながら思った。そうして、ふたたび目を閉じた。
初めてここにきたのは、そんなに前のことではない。せいぜい二ヶ月前か、その程度だ。
はじめは、白かった。きもちわるい、と思わず呟いてしまったほどの無機質な白を、今でも覚えている。
ずっと同じ色かと思ったが、そうではないらしい。何となく数え始めた『漂泊回数』が両手の指を越えてはじめて、はそれに気づいた。確かに色の鮮度は落ち、黒ずんできている。
いまはもう、真っ黒だ。
漂っているのは、たとえるなら海底だった。ただ暖かさや冷たさは感じない。
は漂いながら、ただ時間が経つのを待つことにしている。
そうして待っていると誰かに呼ばれる。意識をそちらに向けると、引き上げられるような変な感覚がある。――…そうして、気がつくと、がらしくない顔で覗き込んでいるのが最近の常だった。
どうやら、この海に浮かんでいる(と思っている)間は、現実では眠っているらしい。
だからこれは全部、自分がつくった夢なのだろう。
毎日毎日同じような景色を眺めて、それを全部覚えているなんて、いつか気がおかしくなりそうだ、とは起きては思った。もう、おかしくなっているのかもしれないが。
眠気には、はじめは簡単に抗えた。探検の準備でもしていれば忘れられた。
ちょっと疲れてるのかな、なんて単純に思ってたから、時々はあんなに寝たのにまだ眠いんだ、と笑い話にさえしていた。
けれどだんだん強くなって、最近はちょっとでも気を抜いた瞬間、ストンと意識が落ちてしまうほどひどくなった。朝も昼も関係なかった。
数週間は騙し騙し生活していたけれど、探検中に突然倒れてしまえば隠しようもなく、それからは探検隊に参加することも叶わなくなった。
「さよならをしなくてはいけない時が近いのだ」、は考える。
星の危機を救ってからずいぶんと経った。
ディアルガの働きによって塔は修復され、正しく時を刻んでいる。
相変わらず悪いことをするポケモンはいるし、依頼がこない日はないけれど、それでも以前に比べるとうんと平和になった。みんなの望む『未来』が、確かにつくられたのだ。
もはやディアルガから託された役目は残っていない。
かつてはふたりの願いを受け取ったディアルガのおかげで消えずにすんだが、もう願いは十分叶えてもらった。
あの崩壊する塔で一度消えたときはを残す悲しみがあった。けれど、今は違う。つらいこともあったけれど、楽しい記憶のほうがうんと多い。ワクワクの連続だった。この時が永遠に続けば良いのに、と思うくらいだ。
でも、もう十分だ、と同じくらい思うほど、は満足している。は、もうひとりでも立派に救助できる。それに信頼のおける探検隊メンバーも増えた。もう私がいなくなったって十分やっていける。
だから、もう、消えなければならない。
あまりに居心地が良すぎて、時々忘れてしまう。
けれど自分はこの世界にとってイレギュラーであるのは変わらない。未だに記憶は戻っていないけれど、もともと消える覚悟で時を渡ってきたのだ。
人間なのに、ポケモンの姿をしたまま、すべてが終わった後も過ごしてきた。かえるべきときに、正しくかえらなかった。
ディアルガの力をもってしても、いつかどこかで終わりが来るだろうことは、少し考えれば分かることだった。
頭の中がぐちゃぐちゃでどうしようもなくなる。
考えたくなかった。けれど眠っている時間が長すぎて、どうしても考えずにはいられなかった。
元いた世界には、もうかえる場所が無い。自分がただ『消える』だけなのか、また違う未来に自分が『かえる』のか、想像もつかない。けれど。
もしさいごに一つでもわがままを叶えてもらえるなら、 今度こそ、と笑ってさよならしたかった なぁ。
この日、呼ぶ声は無かった。
「、!!ねぇ、返事して!」
いくら揺すっても、呼んでみても、返ってくるものは無い。
「……、どうしよう、お医者さん?駄目だ、今から呼びにいっても夜になる、ねむり…カゴの実……ダメ、こんな状態で飲ませたら危ない」
どくん、どくん、心臓がうるさい。零れ落ちた涙がの体を伝ったが、そんなことにもは気づかなかった。
なんでもっと早く帰ってこなかったんだろう。
なんで今までちゃんと考えてなかったんだろう。
分かってたのに。の調子が良くないことは。は僕がまもるって、ジュプトルと約束したのに。
後悔と焦りが押し寄せて、冷静に考えられない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、
「くん帰ったー?おばちゃん、ちょっとふたりに聞きたいことがあるんだけど」
突然背後からかかった声。慣れ親しんだはずのそれに、文字通り、背中が跳ねた。
びっくりしながら振り返ると、階段の上からガルーラおばさんが覗き込んでいた。
「!ガルーラおばさん、が!」
「ちゃんが?待って、今行くわ。あんまり動かさないで」
慌しげに階段を駆け降りる音が響く。
そこで自分が何をしていたのかにやっと気付いて、ずっと握っていたの腕から手を離した。握っていた部分が、少し色濃くなっている。
『は豪腕ってより馬鹿力だよね』そうして二人で笑った、いつかの声が聞こえた気がした。……ごめん、痛かったでしょ。力、入れすぎちゃった。ごめんね。
寒くないように、少しでも体温が戻るように、とベッド代わりに使っている自分の分の乾し藁も、の体に被せるように撒いた。
「どうしよう、おばさん……」
「くん落ち着いて。だいじょーぶ、おばちゃんに任せなさい。おばちゃんこう見えて、経験豊富なのよ?」
「うん、ありがと…お願い」
「見たところ、ひとまず大丈夫そうだわ。――…そうね、まずギルドに連れて行きましょう。ここは海風が吹き込むから。それにプクリンなら、何か分かるかもしれないわ」
「そろそろ夕ごはんの時間ですわ」
「あっし、おなかへったでゲスよ」
太陽が沈みそうな頃、ギルドには良いニオイが漂い始める。
食事の用意係兼呼び出し係のチリーンの鐘を今か今かと待ちわびはじめたギルトメンバーに気づいたドゴームは、穴の下で待機する相棒に声をかけた。
「おーいディグダ、もう見張り番は終わっていいぞー!」
「はーい!…あ、ちょっと待ってください!誰か来ました…、ええとこの足跡は……ガルーラさんとさんです!!」
「はともかく…ガルーラ?珍しいな……、まぁいいか。分かったー、今開けるぞー!」
珍しい客の名前に少し首を捻りながら、鉄格子を開ける。
途端に姿を見せたにとりあえず声を掛けようと、ドゴームはその大きな口を開けた。
「、どうし」
「ドゴーム、プクリンいる!?」
ものすごい剣幕で迫るに気圧されて、思わず口ごもる。
ねぇ、と続けるに、慌ててドゴームは返した。
「お、おお。いつものところだ」
「そう、ありがと!」
風のようなスピードで再び姿を消した。
………。
そういえば、あいつもマスターランクの探検家だったんだなぁ。いつまでもあの時の弟弟子のままな気がして、つい甘やかしちまうが。
「若いって羨ましいわねぇ。あたしも昔はぶいぶい言わせてたけど、今はもうダメね。全然くんに追いつけないもの」
しみじみと感慨にふけっていると、背後からまたしみじみとした声が掛けられた。
振り向くと、トレジャータウンで数え切れないほどお世話になっているガルーラおばちゃんがいる。
そうか、ガルーラっておばちゃんのことだったのか。そうならそうとも言ってくれりゃあいいのに。
「ガルーラおばちゃん!どうしたんだ、こんな時間にギルドに来るなんて……、! なぁ、その背中に負ぶってるのって…」
「そうそう、ちょっと一大事なのよ。ドゴーム、あんたの自慢の声で、みんなを集めてちょうだい。きっとみんなの知恵が必要になるわ」
「――ぺラップ、どう?」
ギルド地下二階、プクリンの部屋。いまは扉が閉められている。
突然現れたかと思えば部屋に飛びこんだと、部屋の主・プクリン、そして侵入者を追って慌てて部屋に入ったぺラップは、けれど数分前の嵐のような一騒動を忘れたように静まり返り、ひとりのポケモンを囲んでいた。
いつもは丸くて大きくな瞳を珍しく細め、由希を見つめたまま動かない。
長年相棒を務めてきたぺラップは、そんなプクリンの姿におもわず息を呑んだ。しかし同じように由希を見つめるに気づいて、今はそんな場合でないとひとり頭を振る。そうしてから、ぺラップは再び口を開いた。
「はい、体温、脈は下がってはいますが、それ以外は普通の眠りと変わらないようです。今すぐに治療が必要というわけではなさそうですね」
「そう。残念だけど、ボクも完全には分からない。とりあえずボクの知り合いの医者を呼んで、一度診てもらうよ。それにコータス長老も呼ぼう。今からカイリューに速達を頼めば、夜までには来てくれる。でも、お医者さんに診て貰ったこと無いの?それともいきなりだったの?」
「ううん、がこうなり始めたのは、二週間くらい前からだった。その時診てもらったお医者さんには、様子を見るようにって。それから、原因は分からない、って。――様子を見るように、って、ぼく、勘違いしてた、をひとりしちゃいけなかったんだ、様子を見るってのはずっと傍にいてあげることだったんだ、」
「!!」
目を真っ赤にし、握り拳を震わせるから零れる言葉に、たまらずプクリンが制した。
「分かった。でもひとつ、はの親友だけど、ボクにとってもたいせつな友達だよ。だから、ひとりで抱え込まないで。ボクも一緒に考えるよ、きっとを元に戻す方法があるはずだ」
「…こほん。わたしにとっても、も、おまえも可愛い弟弟子なんだよ、。…扉の向こうで聞き耳をたてているやつらにとってもおんなじさ。――コラ、とっくにバレてるんだ。『プクリンのギルド』の探検隊がコソドロのようにコソコソ隠れるな、みっともない」
その言葉を受けて、待っていましたとばかりに扉が開いた。
いつものメンバーが、ドドドド、と地響きがするほどの勢いで駆け込んで、口々に叫ぶ。
「、隠し事するなんてひどいでゲス!」
「ヘイヘイ!おいらたちが頼りねぇってことかよ!?おいらたちだって探検隊なんだ!それにたちよりずっと経験が多いんだぜ!!」
「さん!ワタシたち、いままで協力し合って世界を平和にしてきたたじゃないですか!これからだってそうです!」
「そうですわ!ワタシだって伊達に世界中を探検してませんもの、世界中にともだちがいますわ。みんなで考えれば、いい案が浮かびますわ!!」
「そうだぜ!前みたいに、みんなで力を合わせればきっと…」
「グヘヘ、じゃあワシはここでみんなの準備を手伝うぜ。旅に役立つ補助道具はワシに任せろ。ギルドのメンバーには、特別良いトレード品をまわしてやるぜ」
「お父さん、ボクは土の中のポケモンに聞いて回るよ」
「じゃあお父さんは海の中のポケモンに聞いて回ろう。前回は失敗したが、今回はきっとうまくいく。なんせ、大切な仲間のためだからな」
「ほら、わたしの言った通りだろう?」ポカンとしていたが、背中をペラップに押されて一歩前に出る。
一歩分近づいたみんなに、はくしゃくしゃだった顔を更にくしゃくしゃにして、泣き笑いの表情をつくった。涙で濡れ赤らんだひどい顔だけれど、先ほどまでの絶望の色はもう見えない。
「みんな……、…ゴメン、すごく嬉しいのに、言葉が出てこないんだ…。でも、ありがとう。本当にありがとう。今、すごく嬉しい。ありがと、みんな」
「分かったでしょ、はひとりじゃないんだよ。こんなに仲間たちがいるんだもん、はぜーったい大丈夫だよ。――…でも、ダグトリオ、キミは絶対に海に近づかないこと。命令ね」
プクリンの言葉に、また地面が揺れるくらいみんなが笑う。
つられても笑った。
ひとしきり笑ってから、は、自分が笑ったのはいつぶりだろうと思った。
と探検に行けなくなってから、笑ってない気がする。
でも、また、きっとと探検に行けるはずだ。
そんな日が、すぐに戻ってくる。戻ってこさせる。
そのために、なんでもしようと決意した。
が、そう願ってはいないとも知らず。