雲一つ無い青空の下。
少年と少女は公園で遊んでいた。
公園の一角には、公園の名前にもなった立派な樹が一本あった。
大人たちが絶対登っちゃダメよと口を揃える、大きな大きな樹。
いつもはただ眺めるだけの、その樹に。
ある日、少女は少年の制止を振り切って登り始めた。
少年に護られることが悔しくて。護られなきゃいけない自分が悔しくて。
どうすることも出来ない少年が見守る中、とうとう少女は一番上の枝まで登ってしまった。
初めは枝の上に立って誇らしげに少年を見下ろしていた少女だったが、すぐに自分の軽率さに後悔した。
ああ、なんて が遠いのでしょう。
淡いオレンジやピンクが混じり合う、不思議な色彩の空。
その中を真っ白な朝日が昇っていく。
活気が溢れ始めた頃、渚から一つの影が飛び立った。
潮の香りの風が吹く、シンオウで一番早く太陽の昇る街に別れを告げて。
「カイリュー、今日もすっごく良い天気になりそうだよ!!」
見上げれば雲一つ無い青空。見下ろせば白波の立つ青い海。そして朝日を反射して輝くナギサの街。
潮風に靡く髪をかきあげて、は無二の親友に向かって叫んだ。風が強い。かき消されないように声を張り上げる。
「〜〜…、〜〜〜…〜〜!!」
「そうね…どこに行こうかなぁ!?やらなきゃいけないことは全部終わったし……そうだ!今日はカイリューの行きたいトコに連れて行って、とかどうかな!!」
こんな素敵な日に冒険したら、きっと何かが見つかるわ!
森に引かれた一本道。
いつも通り無言で歩みを進めていたシンジは、前方で揺れる茂みに足を止めた。
「……エレブー、『かみなりパンチ』だ!」
ボールの開閉音と共に突撃をかけるエレブー。
一瞬後には、――「ギャッ!!」――かん高い悲鳴が森に響いた。
そして、茂みに多い被さるようにして姿を現した茶色のポケモン。所々黒ずんでいる上、痙攣している。運良く麻痺状態になったようだ。
捕獲するには十分だろうと目算し、シンジは空のモンスターボールを取り出した。
「モンスターボールアタック!……ビーダルか。――もういい。エレブー、戻れ」
図鑑を取り出し、ボールと繋げる。
画面に出たデータを見て、一人呟いた。
「……まあまあだな。戦略によっては使えるな。だが……」
「――カイリュー、こんなに天気の良い日にする冒険は、やっぱり気持ち良いね!たしかこの辺りは………あれ……?」
位置を確認しようと顔を下げると、深い森が広がっていた。
生い茂る緑の中に、薄茶色の道が開けている。
蛇がのたくっているような歪な線を目でなぞっていくと、何かが見えたような気がした。
一瞬後には、すぐに見失ってしまったけれど。
「ちょっと待って!!カイリュー、ちょっと戻ってくれる!?」
「〜〜…、〜…〜〜……!!」
「うん!何だったかは分からないけど……ありがと!!たしかこの辺だったような……」
緩やかに旋回するカイリューから身を乗り出して、目で道を辿っていく。
何故か、懐かしい色が見えた気がしたのだが。
「…何も無い……。やっぱり気のせいだったのかな……」
「!!〜〜…〜〜……!!」
「え!?見つけた!?カイリュー、飛んで!!」
この森だ。
再び見失ってしまったら、三度目は無いだろう。
言葉を引き金に、加速する世界。
後ろに引きずられそうになるのを、山吹色の体にしがみ付いてやり過ごす。
導かれた先には。
「……そう。私達が探してたのは、あいつだったんだね」
気付いたら、飛び降りていた。
瞬きする度に近くなる森。遠くなる親友の姿。
(ああ、ごめんね。また心配かけちゃった。あとでちゃんと謝るから、許してね)
でも、優雅に降りていたら今度こそ見つけられないもの。ずっと探してた、あいつの姿。
唐突に暗くなった周囲に、咄嗟に腰へ手を伸ばした。
ボールに手を触れさせながら、見回す。しかし特に異常は無い。残るは頭上だけ。
「――あの影は……ッ!?」
黒い点が、手に、足に。
影の正体はとてつもない速度で近づいてきているようだ。
このままでは衝突は免れないだろう。
脳裏にいつかの記憶が浮かぶ。そうだ。あの日も、こんな状況だった。
幹にしがみ付いて泣きじゃくるあいつと、立ちすくむ自分と。
そして、最後は。
「…ンジ!シンジ、どいて!!」
自分だけ傷付こうとしたあいつの下に駆け寄って。
「えぇと……久…しぶり、であってるのかな?」
「……ああ」
ああ、なんて素敵な再会なんでしょう!!(泣)
いつまでも動こうとしない彼に、さし伸ばされた手に、思わずすがりついてしまうなんて。
そのまま、ただ落ちていくなんて。
手が触れたと思ったら、いつの間にか抱きすくめられて、二人で森の中に転がっていた。
あの高さから落ちたのだ、二人とも大した怪我が無かったのはただの奇跡。
……下になったシンジは何か所か擦り傷が出来たみたいだけれど。どれだけ聞いたって見せてくれないから分からない。
鼻の奥がツンとする。
結局、私は彼に護られてばっかりだ。
何となく彼の顔を見たくなくて、思いつくままに寝転がってみた。
暖かい腐葉土に心地よさを感じながら見上げれば、樹の隙間から木漏れ日がさしている。
生い茂る樹々のすれすれまで降りてきたカイリューをボールに戻して、呟いた。
「……私だって、もう何も考えずに動いたりしないのに。ちゃんと、自分で自分の身を護れるのに」
「どうだろうな」
ああ、変わらない。
少しだけ大人びたけれど、声も低くなったけれど、根っこの部分は昔と一緒だ。
きっと、彼の中の『わたし』も変わってないのだろう。
あんなに高い樹に登ってまで変えたかったものは、ずっと変えられないままだ。
(もう私が護られるだけの存在じゃないってことは、シンジには分からない。…でも、もう何も言えないよ。今の私は、これ以上シンジに近づけないもの)
「護れる!……さっきだって、カビゴンを出すつもりだったのに。でも真下にシンジがいたら出せないじゃない」
「それは悪かったな」
「ううん……怒ってるんじゃないの」
彼がいなくなってから気付いたこと。
出来れば気付かずにいたかったこと。
こんな他愛のない掛け合いだって、冷や汗が頬を伝う。
いつまで、完璧な『幼馴染』の振りを続けられるかな、なんて。
けれどこれ以上を望んじゃいけない。望んだら、もう傍にいられない。
…彼の『恋人』の座は、きっと他の誰かのもの。もう誰かのモノになっちゃったのかな……
「ありがとう。私を護ろうとしてくれたんだよね?あの高さから落ちたら、私だけじゃなくてシンジも大怪我するかもしれなかったのに」
だから、言葉に一掬い分だけの砂糖を混ぜる。彼に気づかれないギリギリの甘さ。
だってこんなに素敵な日だもの。これくらいの甘さならきっと神様も許してくれる。
これだけで満足できるなんて自分でも驚いてるわ。
……でも、もう少し甘えてみてもいいかな?バチ当たらないよね?
「ふふ……ありがとう。それと、会いたかったよ。ずっと会いたかった。言いたいコトいっぱいあったのに……あはは、どうしてだろ。出てこないや……」
彼の心を奪ってしまうくらい素敵な言葉を知っていたなら、何度だって叫ぶのに。
……ああ、木漏れ日が陰ってきた。今、太陽はどこにいるのだろう。
日が沈んだら、きっと、帰れって言われる。せっかく、また会えたのに。もう会えないかもしれないのに。
だって彼は旅人。故郷に帰ってこない旅人は少なくない。
(あと少しの時間だけで良いんです。ちょっとだけでいい、沈まないでいて)
どうしよう…。『今日』が、終わってしまう。
空まで届かなくても、あなたにはこの伸ばした手が届くのに。それなのに、どうしてこんなにも遠いのだろう。
「……次の街まで」
「…え?」
ふと響いた声に、顔を動かすと。
樹にもたれかかっていたシンジが、いつの間にかこちらを向いていた。視線が交錯する。
「次の街まで、最低でも一週間はかかる。それだけあったら思い出せるだろう」
「……ついて行っていいの?」
声の震えを止められない。
鼻の奥がツンとした。
「好きにすればいい。……いつまで寝転がってるんだ、早くしないと夜が来る。この森で野宿したいなら、話は別だけどな」
「……ありがと、シンジ」
貴方の不器用な優しさが、心に沁みるよ。泣いてしまったら、楽になれるのかな。
いつか思い返した時、ここで突き放された方が幸せだったと思うかもしれないけれど。
それでも、私は今日という素敵な日に感謝したい。
見上げれば、満天の星空。
きっと明日もいい天気だよ、シンジ。