扉を開けたのは、母ではなかった。
「サ、トシ…!?」
はどうして、と目を見開いた。
混乱するを尻目に、サトシは喜色を浮かべて捲くし立てる。
「今下でおばさんから聞いたんだけど、手紙届いたの今日だったんだって?びっくりさせるつもりなかったんだけど、ごめん」
半年前は並んでいたのに、今はよりも少し高い背、少しだけ日に焼けた顔、けれど変わらない瞳の色。
サトシだ。
あんなに求めて、諦めたサトシがここにいる…――
「それで、こっちには一週間くらいいようと…?お前、泣いてるのか?」
「……え?」
サトシに指摘されて初めて、は自分の頬に伝う涙に気づいた。
熱はすっかり冷めていた。慌てて拭うと、「そんなんじゃ傷つくだろ」とサトシが笑いながらそっとの目元を拭った。
普段のガサツさは消えうせて、壊れ物を扱うような繊細な手つきで頬に流れた涙も拭う。
幼い頃から、事件を思い出しては泣くを慰めるのはサトシの仕事だった。鈍感なサトシだが、の気持ちの機微だけは何故か分かった。
知らず知らずの内に染み付かせてしまったらしいその繊細な手つきやが自分のために使われることは、にとって幸せでしかない。
よし、泣き止んだな、と頭を撫られるのをくすぐったそうにしながら、は問うた。
「どうして、帰ってきたの?」
「手紙を書いてたら、に会いたくなってしょうがなくなってさ。どうにもこうにもならなくなって、帰ってきたんだ」
真っ直ぐすぎる言葉に、再び頬に熱が篭る。
「でもの顔も見れたし、今日はとりあえず帰るよ。その手紙の返事も欲しいけど、また今度でいいから」
「ま、待って…!」
手から彼の手紙が滑り落ちた。けれどにそれを気にする余裕は無かった。
彼の背に飛びついて、しがみついた。離れたくなかった。
「…、」
困ったような顔で見下ろすサトシに、彼の腕を必死に掴みながら、は行かないで、と呟く。
「サトシ、好き。私も好きなの。もう置いていかないで。私、頑張るから。サトシと一緒にいられるなら、どんなポケモンだって我慢する。サトシが夢叶えるの、傍で見ていたいの。だからっ、」
半年分の気持ちが溢れて、止まらなかった。
けれど急に振り返ったサトシに腕を引かれた拍子に彼の胸にぶつかり、思わず口ごもる。
窺うように見上げると、痛いほど強く抱きしめられた。昔フラッシュバックに苦しんで暴れた私を落ち着くまでずっと抱きしめてくれていた時の強さだった。
苦しんでいる最中は周りが何も見えなかったけれど、サトシの匂いにつつまれていると不思議と落ち着いた。あの時と変わらないサトシの匂いがして、はそっと背中に手を伸ばした。
「サトシ、」
「会いたかった。オレ、どんなに熱いバトルしてもなんだか楽しくないんだ。いつも横にがいてくれたらって思ってた。声を聞けば楽しくなるかなって思ったけど、電話したあとはいつも会いたくてしょうがなくなった」
「うん、私もそうだったよ。会いたかった。でも、サトシの応援もしたかったから」
「いつも『頑張れ』って言ってくれたよな。本当はだって辛かったのに…ごめん、オレ、気づいてたんだ。けど、格好つけて旅立ったから、帰ることも出来なくて」
「いいの。こうして帰ってきてくれたから。私にとってはそれだけで十分だよ」
それは心からのことばだった。
顔を見れただけで、こんなに嬉しいなんて。
どうしてこんなに好きなのに、私は半年も我慢できたんだろう。今となってはそんなことを思う。
「でもさ、これ以上が辛そうなのは見たくないんだ。だから一緒には行けない」
「……うん」
「けどポケモンリーグの決勝には絶対に呼ぶぜ。ポケモンを見るのが辛かったら、戦うオレを見ていればいいんだ。それでさ、オレがポケモンマスターになったら、結婚しよう」
「けっ…こん!?」
「おい、笑うなよー」
拗ねたようにそっぽ向くサトシにごめんごめんと謝る。
二人とも頬が赤くて、見合ってから笑い合う。それからうん、と呟くとサトシはガッツポーズをして喜んだ。
「まだバッチ集めきれてないけどさ。8つ集めて、リーグに出るんだ。優勝したら四天王に挑んで、その後チャンピオンマスターに挑むことになるからマスターになるのは当分先だけど。そこでもう一度プロポーズするから、ちゃんと受けてくれよな」
「大丈夫?私が結婚適齢期なうちにプロポーズしてくれる?」
「当然だろ!!オレを誰だと思ってるんだよ!?」
「はいはい天才トレーナーサトシくんです。けど、サトシがマスターにならなくても私は幸せなんですけどね」
「オレも今幸せだぜ」
「ねぇ、もうそろそろ入っていいかしら?」
幸せを堪能していると、扉の向こうから声がかかった。
二人して押し合うようにして慌てて離れた。その瞬間、扉を開けて母が入ってくる。
「もう、いつまでたっても気づかないんだから」
「まぁまぁ、若い者同士語りたいこともあるわよ。ね、ちゃん?」
「ママ!」
ハナコママがその後ろから入ってきて、ウインクをする。とても一児の母には見えない。
思わずこくこくと頷くと、今度はハナコママはサトシに向き直って、腰に手を当てて覗き込んだ。
「サトシ、気持ちは分からないこともないのよ。でもね、ママに挨拶なしにちゃんのお家にお邪魔するのはどうなのかしら?」
「えーと、それは……ごめんなさい」
「もうこの子ったら!ちゃん、うちの子ちょっと御馬鹿なところあるけれど、これからもよろしくね?」
「え、あ、はい!こちらこそよろしくおねがいしますっ」
…ちょっと、お母さんたち聞き耳立ててたの!?
どこから!?ねぇ、どこから!?
「やぁねぇ、そんな悪趣味なことしないわよ。でもいつかこうなるとは思ってたのよ。ね、ハナコ」
「そうねぇ。サトシったら小さい頃からちゃんのことばっかり話してたもの。いつかこうなるとは思ってたわ」
「そうと決まればパーティね。ちょうど夕食の時間だし、ちょっと豪華に食べましょ」
二人して部屋を出ながら、サトシが帰省するからってちょっと準備してきたのよ、持ってこさせるわとハナコママが言う。
持ってこさせるってのは、このメンバーだったらもちろんサトシにだろう。ハナコママの言葉を聞いて、サトシがえぇ、と不満顔になる。
「サトシ、私も行くよ。ハナコママのご馳走だもん、きっと二人じゃないと運べない量だよ」
階段を降りながら、一段下のサトシに含みを持たせた笑みを浮かべる。
体力馬鹿なサトシだから、本当は一人でも出来るだろう。
けれどもっと話したかった。半年分の『言いたいこと』がある。話し足りない。
「そうだな、一緒に行こうぜ」
暗に言ったことまで正しく読み取って、サトシがニヤリと笑う。
ハナコママとお母さんはもうキッチンに入ったらしい。水の流れる音に混じって、二人の笑い声が聞こえる。
「」
「なに、」
手を下に引かれた。
引かれるままに膝を曲げると、真剣な面持ちをしたサトシが近づいた。
思わず、目を閉じる。
「…んぅ、」
唇に柔らかい感触がする。触れたと思うと、すぐに離れた。
…うわっ、キスしちゃった!
触れるだけのキスだけど、にとってはこれがファーストキスだった。それも小さい頃からずっと好きだったサトシとのキス。
感動しながら目を開けると、目線の高さに彼の頭があった。
「……まだ一段分の差は無いな」
「…?何が?」
「身長。けどこれから成長期だし、すぐに伸びるぜ」
「………」
「?」
「……ちょっとは空気読め鈍感!」
余韻の欠片のないセリフに、思わずサトシの唇に噛み付いた。
……後から思ったけど、別に口を噛む必要は無かったかもしれない。
「痛っ!」
「サトシなんてもう知らない!!」
サトシの隣をすり抜けて、玄関に走る。
動きやすいシューズを履いて、そのまま玄関を飛び出した。
西日に向かって、全速力で走る。
「ちょっと待てよ!」
なのに、すぐに追いつかれた。
これがトレーナーと一般人の違いですか…?違う、サトシが規格外なだけだ。
「なに、今私怒ってるんだからね」
「気に障ったならごめん。けど、オレにとったら身長も大事なんだ」
「…なんで」
「より大きくならないと、のこと護れないだろ」
「……」
「デデンッ!ここで一問、問題を出します。気に食わない答えだったら当分キス禁止だからね」
「えっ、」
「…サトシ。私のこと、本当に好き?」
「…、違う」
思わず、立ち止まった。
……所詮、子どもの恋愛だったのかな。好きでもないのに、勢いで結婚とか言っちゃうのか。じゃあ素直に喜んじゃった私って。
足ががくがくすると思ったら、どうやら世界が揺れている。見えないところで地面ポケモンが『じしん』起こしているらしい。
あ、倒れる。
膝から力が抜けて前に倒れそうになったとき、サトシはの手を引いて、立ち上がらせた。
オレ、馬鹿だからうまく言えないけどさ、と手紙に書いたことと同じことを言いながら、サトシはの顔を覗き込んだ。
「今はのこと、愛してる」