「へへんっ、またレッドの負けー!」
「ああっ、ニョロモ!…ちくしょー、なんでにだけは勝てないかなぁ…」
「レッドは考えなさすぎなんだよ。こうげきばっかじゃダメなんだって何回言ったら分かるのかなー」
「こうげきこそさい大のぼうぎょだろ!男ってのはなぁ、こう…おしておして、おしまくるもんなんだ!!」
「そーいうのはわたしに一回でも勝ってから言ってよ。……あ、ママが呼んでる。レッド、じゃあまたあした、このばしょでね」
「あしたは勝つ!またなー!!」
「……懐かしいな」
揺れるトラックの助手席で、は瞼をあげた。随分懐かしい夢をみた気がする。
カーラジオから流れる、どこか切なさを感じさせる民族的な旋律。このメロディが、いつかの記憶を手繰り寄せたのかもしれない。
ぼんやりとした視界のまま窓の外に目を向けると、緑の絨毯を敷き詰めたような風景が広がっていた。遠くには人家も見える。
「…、マサラだ!」
「良く眠ってたわね、」
起きた途端かじりつくように窓から外を眺め始めた娘に、運転席でハンドルを握るママが横目で声をかける。
窓、下げていいわよ。の声に、は数センチだけ開けていたウインドウを一番下まで下ろした。
頬を打つような風に反射的に目を細めるが、すぐに開いて、身を乗り出すようにして遠くを眺める。
「うん。疲れてたのもあるけど、あんまり穏やかな風景が続くから、ぐっすり寝ちゃった。向こうはいつも賑やかで楽しかったけれど、私はここののんびりした感じが好きだな」
「そうね、色々あったけれど、ママもこっちに戻ってきて良かったと思うわ。――…ここ、覚えてる?昔、が毎日遊んでた場所よ。あの一本だけ生えてる木が目印だったでしょ。いつもあの男の子といて…ええと、なに君だったかしら…」
吹き巻く風に髪を泳がせていたが、振り返って顔を傾ける。
「レッドのこと?」
「そう、レッドくん」
「忘れないでよ、今でもカントーでもっとも有名なトレーナーの一人なんだから」
「なに、拗ねてるの?」
「拗ねてない」
ふーん…信じていなさそうな声色でママが呟く。
「あぁ、そういえば連絡とれなかったって言ってたわね。しょうがないわよ、チャンピオンは忙しいんだから。あなたのパパもね、あの大会の後はそれはもう…」
「その話は聞き飽きたって。そういえばパパ、ちゃんと飛行機に乗れたかな。まだシンオウにいるの?」
「さっき電話あったわよ。夜にはマサラに着くだろうって。それまでに引越し作業、終わらせないとね」
うん――…
どこか気の無い返事をしながら、は窓枠の上でゆるく腕を組んで、顎を乗せた。
流れる風景は、マサラを最後に見た日から何も変わっていない。どこか寂しくて、どこか懐かしい風のふくまち。
7年前、は両親と一緒にジョウトのある街に引っ越した。
父の新しい仕事がジョウトに常住しなくては出来ないものであったのが理由。
母は娘であるのことを考えてマサラに残ることを最後まで考えたが、当の本人が「パパと一緒がいい」と言い張ったために、結局、予定通り一家そろっての引越しとなった。…らしい。
今となっては何にも覚えてない。自分にそんなファザコンだった時期があった覚えは無いし、もしあったとしても、消し去りたい過去だ…――。
「……ん?」
どこからか悲鳴が聞こえたような気がした。
ラジオをオフにして、耳を澄ます。不思議そうな顔をしたママに、は人差し指を口に当ててみせる。
………。
いや、気のせいじゃない。
馬のいななきと悲鳴が、確かに聞こえる。それも段々近づいてきているような…
「ママ、止めて!」
足元に置いていたバッグを掴んで、ブレーキが利ききる前にドアを開ける。
さすがに「危ない!」と叱責の声が飛ぶが、構わず車から飛び出した。更に十メートルほど走って止まったトラックから、ママが顔を出す。
「悲鳴が聞こえたの。私、見てくる。野生ポケモンか何かに襲われてるかもしれない。ママは先に行ってて」
の言葉にママは少し考えるそぶりをみせたが、すぐに頷いて返した。
「家の場所は覚えてる?」
「うん」
「気をつけてね。待ってるから、ちゃんと帰ってきなさいよ」
「分かった!」
草原を走る。
確か、南の方角から聞こえた気がするのだけれど…。
「……ハネッコ、スタンバイ!」
いつでも対応できるように、とバッグから取り出したモンスターボールを一つ開放する。
途端にふわふわ浮いている体が少し心もとないけれど、実力は折り紙つきだ。
「風が吹くけど飛ばされないで着いてきてね。――…あ、いた!あのポニータ…と、」
今にも飛んでいきそうな人が、さっきの悲鳴の発信源?
見たところマサラの空気に元気になったポケモンに振り回されているようだ。
人ひとりが草っぱらに飛ばされても、そこまで痛くない。
馬を止まらせて飛んだところを受け止めるか、たづなを離させて飛んだところを受け止めるか。大人ひとり位ならどうとでもなる。
けれどこのまま進んだら…
「あ…!危なーい!キミ、」
「岩陰に誰かいる!――ハネッコ『わたほうし』、」
「「『どくのこな』!!」」
「「……え?」」
「いやいや、助かったよ。急にはりきって走り出すもんだから。思わずたづなを離してしまって」
「いえ、無事で良かったです。でも、本当に怪我はありませんか?」
バッグからバンソウコウを取り出すが、郵便配達員は眉を下げながらも笑顔で首を振った。
「大丈夫だよ。ポニータまで回復してくれてありがとう。親切な人に二人も会えてよかった。それにしてもどうして急に…」
「ここマサラのきれいな空気はポケモンを元気にさせるからね!いつも以上に走りたくなったんだよな、ポニータ!」
この配達員さんは、マサラに来るのが始めてなのだろうか?いつも通っているなら、注意しそうなものだけれど。
それとも、いつも以上に元気になったのだろうか。たとえば、強いトレーナーがいることを敏感に察知して。
当のポニータは今は通りすがりらしい少年に顎の下を撫でられて、嬉しげな鳴き声をあげている。
「おっと、いかんいかん、仕事中だった。はやくマサラの配達分届けなくては」
「あ、手伝います。この袋に入れればいいんですか?」
配達員が盛大にぶちまけた郵便物を拾って、袋に入れる。結構な量だ。
「……あ」
郵便物の中によく知る名前を見つけて、思わず声が漏れた。
その声に気づいた配達員が顔を上げて、の手元の郵便物を見て眉を下げた。
「そうそう、キミたち、マサラの人間なら、知ってるかな?『マサラタウンのレッド』その手紙のあて先なんだけど…」
あて先が分からない?
配達員の言葉を不思議に思って、ちらりと表書きに目を落とす。変なの、名前と経歴以外、何も書いてない……。
けれど、『レッドが誰か』は分かっているのだから。
「…ん」
いつの間にか隣に立って手元を覗いていた少年に渡す。
「サンキュ。――もちろん知ってるさ!マサラタウンのレッドとは、このオレのことだもの!」
配達員と別れて、マサラのまちへと歩く。
せっかくだから家に寄っていってよ、とが誘ったのだ。ついでに引越しも手伝ってくれたら、はひとまず心の中に留めてある。
「帰ってきてたんだな。ビックリしたぜ!教えてくれればよかったのに」
「今日帰ってきたの。本当は電話で言おうと思ったんだけど、不思議と全然繋がらなくてねぇ」
「……ごめん」
じ、と恨めしげに目を覗いてみると、一度ビクリと瞳を揺らしてから、レッドは素直に謝った。
コイツ、大きくなったなぁ……。見上げながら思う。
いつの間にか、わざわざ見上げなければ表情が確かめられないほどレッドは大きくなっていた。昔は私が見下ろす側だったのに。
それに、身長だけじゃなくて雰囲気もどこか違う。
大人びただけじゃなくて…、と離れた7年間の内に、が想像も出来ないような経験をいっぱい積んだのだろう。
もちろん、だって同じだけ経験を積んだ自信はある。けれど同じだけの成長をした自信は、ちょっとない。
レッドには恥ずかしいから言ってないが、この二年間は彼が出ると聞けば雑誌もテレビも欠かさずチェックしていた。
けれど所詮は画面の中の存在で、こんなに変わってるとは実際に見るまで気付きもしなかったのだ。
ただ今は、こうして前と同じように話せるだけでも嬉しいと思う。
「まぁ、こうして会えたからいいんだけど。もしかしたら、パパみたいにどこ行ったか分からないかも、って思ってたから。あ、そうだ。パパもこっちに住むんだよ」
「おじさんも帰ってくるのか?へー、頼んだらまたバトルしてくれるかな」
「と思うよ。レッドがチャンピオンになったって電話したら、『じゃあマサラの最強が誰か、もう一度決め直さなきゃな』って言ってたし」
の父は前回のポケモンリーグのチャンピオンだった。
歴代のリーグ優勝者はすべてマサラ出身だけれど、その中でもとびっきり強かった。実力を買われて、とある国際秘密組織のメンバーになるくらいには。
だから暫定一位はここ数年パパだったわけだけれど、今回の結果で、色々変わるかもしれないらしい。…らしい、というのは私には良く分からないからだ。勝手にマサラの人たちが言ってるだけだし。
「そうそう。オレずっと『最強になる!』って言ってたんだよなー。結局、引越しする日までおじさんに勝てなかったけど」
「パパどころか私にすら勝てなかったけどね。でもなんで最強最強言ってたんだっけ?」
「それはだな、……あー、なんでだっけ」
「忘れたの!?」
懐かしげに語り始めたレッドだったが、はたと思い当たって、咄嗟にウソをついて誤魔化した。
けれど言葉通りに受け取ったは、彼の頬がうっすらと赤いのに気づかないまま、驚いたように顔を上げた。
「あんなに言ってたのに」
「あー…うん。もう7年も前の話だしな。まぁ、あれから結構色々あったしさ」
は知らない。
レッドがかつて「オレはをおよめさんにする!」との父に宣言し、「オレに勝てんやつに娘はやれん!せめてマサラで一番になってから出直して来い!!」とボコボコに(バトルで)されて泣いて帰ったことを。しかも一度ならず。
10歳になる前からマサラの中では強いトレーナーとして、そこそこ名も通っているほどであったことも。
けれどその頃は一家がいなくなったことでマサラに敵無し!オレって最強!!と少し短気で自信過剰、今から思えば色々と恥ずかしいことを繰り返していたから、には知られたくないのかもしれない。
「は、今でもバトルをやってるのか?さっきの赤いやつ、あっちのポケモンなんだろ?」
「そうだよ。あっちで初めて捕まえたポケモンで、ハネッコっていうの。レッドほど鍛えてはないけどね。時々パパの仕事についていって、ジムバッチ集めもしてる」
いま7つーと、バッグの外側に並べてつけたバッチを見せると、全然形が違うんだなとレッドが興味深げに眺める。
その胸に輝いているはずの8つのバッチが無いことには気づいたが、何も言わずに目を細めた。
そんなの視線にレッドも気づいているだろうに、何も言わない。それなら聞いても、答えてはくれないだろう。触れたくない過去があるのは、お互い様だ。
「そういや、カントー以外のジムは行ったことがなかったぜ」
「ジョウトとカントーは、専門タイプがまるで違うよ。特に、ドラゴンタイプのジムは全国でも珍しいし。そうそう、氷タイプのジムリーダーがすっごく強いの。いままで何度も挑んだけど、全く歯が立たなくてね」
「へぇ、戦ってみたいな。最近、強い挑戦者が来なくてつまらなかったんだ。数は相変わらず多いんだけどなー」
それから再会記念のバトルをしたり、この七年間、二人がそれぞれ何をしていたかを語り合ったり。
自然と歩くスピードは遅くなったけれど、遠くにまちが見えるころになっても話は尽きなかった。
想像はしていたけれど、レッドのバトルはいつかのそれと比べられないほど、うんと高度なものになっていた。
機転の良さは相変わらずだけれど、戦略も加わって、なんというか『勝てる気がしない』バトルだった。
ジムバッチを集めた程度では、対等のバトルはできないんだな。
簡単に負けるつもりはなかったし、レッドのポケモンの内2体はダウンに持ち込めたけれど、一手一手が全てこちらの上を行っていて、ただただ関心してしまった。
けれど、いつの間にか追い抜かれて、突き放されていたことに少しの寂しさを感じてしまう。
でも、これなら、レッドに勝つようなトレーナーは中々現れないだろう。
7年経っても相変わらずバトルが一番、の性格のようだから、レッドの興味を根こそぎ奪ってしまうような強い女の子の登場への心配はいらなそうだ。
…ん?女の子?
いやいや、別にレッドはただの幼馴染なんだから、彼女がいよういまいが関係ないし。
「そういえば、その手紙なんだったの?」
「んー…単なるバトルの申し込みみたいだぜ。こっちは地図か。よくあるんだ。こんな、筆文字の手紙は初めてだけど。いままでのトレーナーとは何か違う感じがする…」
悩むように手紙に目を落とすレッドの姿に、は寂しさでなく、なにか嫌な予感がした。
「今から行くの?」
「おう。けど、これに行ったらいつマサラに帰ってくるか分からないんだ。それに実は他にも呼ばれてるんだ」
「ずいぶんおモテになるのですね。……やっと会えたと思ったのになぁ」
茶化すように言ったつもりなのに、随分へんてこな顔をしてしまったらしい。
ごめん、と言いたげなレッドに気づかないふりをして、はかぶりを振った。
何だか胸騒ぎがする。
昔からこういう不愉快な勘は、外れたことが無かった。…「おねがいだから行かないで」とでも言えば、昔のよしみで行かずにいてくれるかもしれない。けれど。
「なんてウソウソ!今度は私がマサラで待ってる。ついでにレッドの家も任されてあげるよ。そうだ、あっちで出会った人達に、美味しいレシピをたくさん教えてもらったの。だからさ、」
送り出すために、笑顔を作った。
レッドの力だったら、こんな勘、弾き飛ばすに決まっている。
「全部終わらせて、ちゃんと帰ってくること!」
だからそんな顔しないでよ。私が勝手に不安になってるだけなんだから。
「ごめんな、帰ってきたら一番にの家に寄るから」
「なんで謝るかなー。ほら、その手紙、預かっててあげる。地図はレッドが持っていくこと。他は大丈夫?」
気のせい、気のせい。
笑うんだと何度も心の中で唱えながら言うと、レッドはやっとの一番好きな表情に戻った。心躍るバトルを期待する顔。
私では力不足だった。だから他の人に任せるしかない。
「手紙と一緒に、この図鑑をオーキド博士に届けてくれるか?最近ボタンの調子が悪いんだ。博士には話してあるから、が行っても大丈夫だと思う」
「分かった。ほら、手紙の人が待ってるよ。…――行ってらっしゃい」
「あぁ。行ってきます」
一ヵ月後、オーキド博士により、カントー中にレッドの捜索依頼が出される。
その日、レッドの行方を追うという謎の少年が研究所から出発するが、は毎日レッドの家を掃除しながら、約束どおり帰りを待ち続けた。