突然だが。
なんだかんだあった学生生活も残り短く、あと半年で卒業だ。なんせこの世界は義務教育期間がたった4年しかない。入学以前からあった『卒業できないかもしれない、でなくとも卒業が伸びるかもしれない』という危惧は果たして理想的な形でクリアされた。身も心も削った甲斐があったものだ。
卒業見込証明書、と題された書類を手にした俺は、職員室前通路を教室に向かって歩く。脳内ではキレイハナと手を取り合い踊りながら歩いている。
俺にとっては長く試練に満ちた日々だったが、ここまで来てみればあっけないものだった。
これから先のイベントといえば、卒業の可否に関係ない『職業体験』だけで、あとは卒業式まで自由登校期間であるから、箒に乗って空を飛びたいくらいの気分である。
ちょっと郊外に出れば飛行ポケモンに乗って地上うん百メートルを飛び回る体験が出来るレジャースポットがあり、人気を博している。あぁ、でも、少しは慣れたとはいえ、金を払ってまで自らポケモンに近寄りたくない。
さて手元にある二枚の証明書。
元日本出身者からすれば義務教育の場で証明書なんぞが発行されることに違和感を覚えるが、卒業後おおよそが就職することを考えれば、大学におけるそれと同じ感覚なのかもしれない。
もう一枚は成績証明書で、内実を見ればそれはもう申し分ない出来であった。強いていえば実習単位が辛く、学年によっては『可』がつけられてはいるが、座学系にめっぽう強かったことが功を奏して、入学以来キープしてきた学年トップの座を譲ることなく卒業できるようだ。――対象年齢小学生の講義で成人がいい結果を残すのは当たり前のこととはいえ、期待通りの結果に満足感と安堵感を覚える。
ただ、以前に「最優秀生として卒業式で表彰する」と打診を受けたときから、おそらくそうであろうな、とは見込みはついていた。
ちなみに、それは実習単位の評価を理由に辞退済みである。目立ちたくない、チート補正によるもの、というのもあるが、次点がカミツレ嬢らしいので彼女が壇上でスポットライトを浴びるのを間近で見たい、という俺の願望が多分にある。卒業後に雲上の人(スーパースター)になる彼女の、おそらく最後の学生姿を、焼き付けておきたいのだ。そして俺は地下アイドルならぬ地下鉄の廃人として生きていくことになる。
そう、俺は、異世界に転生するだけに飽き足らず、二次元のキャラクターに成り代わってしまったようなのである。
それに気づいたのは、カミツレ嬢やフウロ嬢の日々華麗に成長するカンバセでもなく、俺や弟のそれなりに成長したそれでもなく、地元民として否応なしに参加させられた『ギアステーション』駅の完成イベントが行われた日のことであった。
あの日の俺は、キッズサイズの制帽と制服を着させられ、プラットホーム上で同じ恰好をしたスクール生と並んでいた。有象無象の乗客に向けて「ようこそギアステーションへ」と描かれた旗を振っていたときに死んでいた表情筋は、目玉イベントの一つ、歴代のレア車両の展示と新車両のお目見えに大興奮。家路についても止まらない多動多弁ぶりに母親が「クダリと区別がつかないわね」と苦笑されるほどだった。ちなみにクダリは電車よりもどこまでも続く線路の枕木の方に興味をひかれたようだった。
就寝時間になったところで目は冴えたままだった。ぐーすかと眠りこけるクダリがそばにいるために、電灯をつけるわけにはいかない。だから目を閉じて横になり、眠気が訪れるのを待つ。時折頬が痙攣した。筋肉痛である。
こういうときは何も考えずに頭を休ませるのが一番なんだろう、けれど、どうしても思い浮かぶ車両たちの姿。特に普段あまり見れない車体の下部、車輪の形状をつぶさに観察できたのがよかった。鉄オタではなかったはずだが、男というものは、無機物に対しても見えそうで見えないところに興味をもつものなのだろうか…。
…そうだ、車輪といえば、似たようなもので『ギアステーション』とは歯車―の―駅という意味だったか。イッシュの全ての駅の終着駅であり、始発駅でもあることから付けられたそうだ。ただ、なんだってそんな名前を付けたのだろう。一般的に知られた名称である『ターミナル』駅でいいし、他の駅に倣うならば『ライモン駅』と地名をつければよかっただろうに。なんだかなぁ。――と思ったところで、はてギアステーションなる言葉に聞き覚えがあることに気付いた。
しかし考えだしたところでどこで聞いたものだったか思い出せず、結局ノボリはろくに眠ることができないまま朝を迎えることになった。
そうして翌朝鏡を見たところで悲鳴を上げ、駆けつけた弟の顔を見てもう一度悲鳴を上げたのである。このままじゃ腐女子共にケツ穴ぶちおかされる!エロ同人みたいに!!と思い至った瞬間、人には言えない場所がひゅんと縮こまったことは墓までもっていく所存である。
ただまぁ、そっちの人気は一先ず無視するとして、強いてストーリーに関わるキャラクターでないし、気は楽だ。むしろエンディング後が本番だった前世のノボリにとって、ストーリーなんておまけですよ、程度の認識だし、今更未来が少し分かったところで、なんちゃら団の王子(笑)とその父親で大魔王なおっさんがいて、チャンピオンロードかどっかに無断で城作ってたんだっけか程度の記憶しか残っていない。
第一、なんちゃら団なる組織が現時点で現れていない。というわけで、そろそろ生まれたのだろうか、運命を背負いし主人公よ、がんばれ。できれば女主人公がいいな。どうせ紙面飾るなら可愛い女の子の方がいい。
合計30歳にもなるおっさんが、三日三晩魘される儚さをもつわけもなく、将来に絶望するわけでもなく、別段日常が変わることはなかった。
閑話休題。
それにしてもあの少年Aにも勝る成績を叩きだすとは、さすがカミツレ嬢である。しかも最近はモデルの活動を始め、ティーンズ向け雑誌に掲載されているそうだ。今でこそ小さな写真だが、その輝きは専属モデルにも引けをとらず読者の中でも一番の話題になっているので、その内特集を組まれるのではないか、とはクラスメイトの弁。まさに才色兼備ってやつだ。ギャグのセンスがひどいらしいという噂もあるが、それを差し引いたとしてもあまりある。
あぁ、カミツレ嬢とは、1、2年では一緒のクラスだったが、それ以降は見事に離れてしまった。そんでもって、四字熟語でいうなら『天真爛漫』が相応しかろうフウロ嬢は、カミツレ嬢とは入学してからずっと同クラスという、いわゆるズッ友だ。二人の仲の良さは薄い本が厚くなるレベルで、。
ただ縁はあるようで、偶然実習先が一緒になったり、選択科目が一緒だったりして、会えば会話が弾む程度の仲は続いている。
そういや、フウロ嬢は、カミツレ嬢と違い特別に頭が良いわけでないらしい、が、体育実技と体つきはカミツレ嬢の完敗……
「エモンガ、アクロバット!」
「ハッ!?」
ノボリの人に言えない桃色な妄想を、突如響いた凛とした声が破った。
咄嗟の判断で身を引いて転がったノボリの視界に、素早さ種族値103から繰り出される黄色い閃光が走る。
「……ッ!」
後転の要領で一回転したノボリの頬が、掠めただけというのにビリビリ震えている。
直撃してたらモザイクまったなしな光景が広がっていたことだろう。本能と勘が人一倍強いノボリで無かったら、ここから畑違いのホラー&ミステリーが始まっていたかもしれない。
立ち上がって振り返ると、果たしてそこにはエモンガ♂を肩に乗せ頬袋を撫でるカミツレの姿があった。
「――ありがとうエモンガ、いい輝きだったわ」
今日は卒業見込証明書が発行され始める日であるから、カミツレ嬢もそれを取りに来たのかもしれない。それからドヤ顔のエモンガ♂。細くも柔いそこに足を降ろし、これ見よがしにカミツレに頬擦りし返している。
エモンガそこ代われ下さい、と反射的に祈ったノボリはこれでも正常な精神の持ち主である。
あーあー。尻上げるんじゃなかったわカミツレ嬢の素晴らしさは乳でなく脚であって見下ろしたところで感涙に咽ぶ感動はない。だれかアンクルブレイクしてくれないかな。無理だよな。3秒前の俺ギルティー。死をもって償えよ。――ここまで息継ぎなしである。
久しぶりに間近に見たカミツレ嬢の瞬きはそれこそ毎秒星が零れ落ちそうな輝きに溢れていて、特性【せいでんき】の余波もあってクラクラした。
「あ、あの、死ぬかと思いました、が」
「だって、あなた、それは失礼なことを考えていたでしょう」
「(ぐぬぬ)」
にこりと微笑むその顔には何も言い返せない。
カミツレ嬢も教室棟が目的らしいので、クラスが違う俺たちは途中まで一緒に歩くことにした。
休み時間であるので、職員室前とはいえ行き交う子どもも少なくなく、しかも片方が超有名なカミツレであるので、遠慮のない視線をひしひしと感じるが、それでも最上級生に声を掛ける勇気はないようだ。
だけれど、能面がデフォルトな俺なのにどうしてバレたのだろうか。まさか、彼女が運命の相手だともいうのだろうか。カミツレ嬢と俺が?……ぇぇえんだぁああああいやぁあああああっふぅぅぅぅぅ!!!(無表情)
内心で喝采を挙げていると、ちょっと、うるさいわよ、と、それはもううるさそうにカミツレ嬢が両耳を塞ぎ、眼をぱちぱちとさせていた。
俺は一言も口にしてないのに。と、俺が不満を露わにする(やはり無表情)と、カミツレ嬢は、
「アナタほど『目は口ほどに物を言う』ヒト、見たことないわ」
と、唇をツンと尖らせた。同世代とは一線を画す大人びた容貌だとはいえまだ10歳の少女をが形作るそれは、やっぱり痺れるほどに可愛くてクラクラする。肩の上に黄色い齧歯目がいなかったら写真か絵画に残すのだがな。
「それにしても、ノボリはどうしてここに?――あら、それ、証明書ね。そういうこと」
「お陰様で、皆様と一緒に卒業できそうです」
「よかったわ。あなたって昔っから最優秀生か留年生かの極端な人だったから、少しだけ心配だったの」
そう言って喜びと安堵を頬に浮かべるカミツレ嬢に、俺は数分前に感電死させられそうだったことを水に流した。
そもそもこの程度、この世界では日常茶飯事なのだし――ポケモンが技を掛けてくるのは、前世でハリセンや手刀でツッコミいれられるのとそう変わらない世紀末加減――いちいちあげつらうのもしつこい。
「それは…、御案じいただき恐縮です」
「同じライモン生のよしみでしょ。当たり前よ。フウロなんて、判定が出る前に、って直談判に行く勢いだったわよ。止めたけれどね」
「そ、そうでございましたか。ありがとうございます」
ぶっとんでやがる。
「それで。卒業するってことは、最優秀生なのね?」
「はぁ、まぁ」
それは正解。俺が最優秀生なのは間違いない。
とくれば、続く言葉はこうだ。
「卒業式、楽しみね。お母さまも喜ぶわ」
「はぁ、まぁ…」
最優秀生の表彰は周知の事実であり、そういうことだろう。
まぁ、ここからは俺と俺は辞退したわけで、表彰されるのはカミツレ嬢になるのだが、ここで言ったら10万ボルトが降ってくるのは目に見えているので濁す。彼女は名誉だとかこういった輝かしいものを他人から譲られるのが嫌いで、そういったものは自分で勝ち取りたいタイプだ。俺は基本的には貰えるものは貰っておくタイプである。
といっても、しばらくすればバレるだろうが、そのころ俺は職業体験中で登校しないので、そうなればこっちのものである。やったぜ。
その時、【計画通り】と悪い顔をする俺と、いつも通りのシャイニングフェイスをしているカミツレ嬢の間に、声が割り込んできた。
「カミツレちゃーん!!」
「フウロ、」
立ち止まったカミツレ嬢に、褐色の影が飛びかかるように抱き着いた。一瞬遅れて赤い髪がノボリの鼻先をくすぐる。いいにおいがした。
「カミツレちゃん補給〜はすはす〜」
「やめなさい」
容赦ない拳が後頭部に振り落される。
……なるほどうらやまけしからん。事実は小説より奇なり、というのはこういうことだろうか。生きててよかったと、ノボリは神に感謝した。
鉄槌に沈んだフウロが、ややあって後頭部を撫でながら立ち上がる。
「いったぁ…今日も愛が重いよカミツレちゃん。あ、ノボリだ、久しぶりね!」
「御無沙汰しております」
ぺらぺらと手を振るフウロに、ノボリは頭を下げる。
「あっ、ねぇそれって卒業…えっと、できそうですよな証明書?」
「卒業見込証明書ね」
「それそれさすがカミツレちゃん!ってことはノボリ、卒業できるのね!おめでとう!!」
突然に、表裏なしの爆発スマイルが炸裂する。
カミツレのようにキラキラとした輝きを周りに溢れさせるのでなく、彼女自体が眩しさの核、それこそ太陽のようだ。やばい浄化される。
「あ、ありがとうございます…」
「でもってカミツレちゃんどうしたのー?教室棟の屋上で日向ぼっこしてたら別棟二階にカミツレちゃんの姿が見えたんだけど。二階って職員室がある階だっけ?」
「ノボリ、ツッコミはいらないのよ。ちょっと目と頭がおかしいだけでいたって普通だから」
「えへへ、フウロアイは本日も良好、カミツレちゃんはばっちりみえました!」
ずびしっ、と敬礼のポーズを取るフウロに、ノボリは落ち着かない胸を押さえつける。
落ち着けこれでも健全な仲なのだ落ち着け。それが常人には不可能な距離だとしてもきっとパイロットにはその程度の視力が普通けしてヤンデレじゃないこれがふつう普通ふつうふつう健全おいし…おいしい!!
「ふふ。相変わらずの仲の良さでございますね。羨ましい程です」
「えー?でもノボリにはクダリがいるじゃない」
「あ゛ぁ?クダリがなんですって?」
「ぴゃあ!?」
「…ちょっと、フウロが怯えるじゃない。ノボリ止めなさい」
「……これは失礼。フウロ、すみません」
瞼を降ろし、深く息をする。
無意識にも、弟の名前に、心の声が濁音交じりに漏れていたらしい。それとかっぴらいた眼が相乗効果になったのだろう。気づけばフウロがカミツレの背に隠れてぷるぷると震えていたが、謝罪の言葉にこわごわと顔を出した。
だが、フウロ嬢には悪いが、今の俺にとって弟の名前は禁句に近いものだったから、反応せずにいられなかったのだ。
「でもですね…、あのくそったれ…クダリなんて知りませんよ」