月日が経つのは早いもので、ざっと5年が過ぎた。その間のあれこれは割愛する。
俺ことノボリ、そして俺の弟クダリは、明日スクールに入ることになったそうだ。
たった今洗濯物を畳みながらそうのたまった母親を前に、俺は、動物園の中で一日の大半を過ごすことになるこれからを想像し絶望していた。ここに誰もいなかったら、古いネタだがorzの体勢になって床に拳を打ちつけていたかもしれない。それほど絶望していた。
両親の教育観によりプリスクール(日本でいう幼稚園)には通わずに済んだが、考えてみれば、だからといってスクールにも通わない、になるはずがなかった。この街の住人にとって、スクールに入学し教育を受けることは義務である。しかし精神年齢21+5の俺が子ども特有のノリを受け入れられるはずもない。赤ん坊であったときに生理現象に対して世話をされることは「しかたがない」で諦められたが、お手て繋いで歌うこと、おはじきやブロックを左から右に動かすことは耐えられそうにない。
幸いこの国の義務教育は10歳までなので、4年通うだけで済む、が、飛び級は無いくせに留年がある制度なので、自分の抱えている問題を思うと、それ以上に伸びる可能性の方が高い。もはや泣きたくなってくる。
「あのね、ノボリ。しわよってる。オコリザルみたい」
「あのなクダリ、俺のことはお兄ちゃんと呼べっていつも言ってるだろ」
「あのね、やだ」
「その『やだ』がいやだ」
「やだ」
この世には!夢も希望もないのか!!
リアルorzになった俺と棒立ちクダリの横を、洗濯物をもった母親が「クダリあとよろしくね〜」と鼻歌混じりに通り過ぎた。この世界は俺につらたんである。
生まれたそばから自我と前世の記憶が目覚めた俺は、自分でいうのもなんだが優秀なので(5歳児として)、九割九分九厘、母親が息子に頼みごとをするときの相手は俺だ。
しかし一厘、クダリに頼むことがある。それは、『兄をポケモンに慣れさせること』である。
吃驚仰天なことに、この世界はファンタジー☆ワールドであった。いや、区分的にはRPGだっただろうか。…自分で言い出しといてなんだが区分なんてどうでもいい。心底どうでもいい。
「この子たちは健やかに、のびのびと育つでしょうね。それに、きっと女の子にモテモテだわ。あの人にそっくりだもの。あなたもそう思うでしょう?」とかノロケ全開でのたまう母親に「タブンネ?」と反応を返したピンクのモンスターの存在をきっかけに自分がポケットでモンスターな世界に生まれ落ちたことを知ったあの日、俺はわんわん泣いた。そして三日三晩寝込んだ。四日目の朝には悟りの境地に至った。
この世界では、あっちで犬や猫を飼うよりずっと多くの人がポケモンを連れ立っている。そうでないのは、極珍しいがポケモンアレルギーのある人くらいだ。
家から一歩出ればボケモンに出会う。野生のポケモンには草むらに入ってはじめて襲われるが、野生でないポケモンには人間と同じ割合で出会う。――そんなわけで、俺は。
「あのね、ノボリ。ズルズキン、さわっていいって言ってる」
「いや無理ほんと無理やめろ、歯ぁ剥いてるだろ、食われる、やめろ、やめろください」
「?あのね、ズルズキン肉食じゃない」
「すげぇ威嚇されてるだろ見て分かんねぇのか馬鹿!」
「ばかはノボリ。それはとくせいなだけ」
「ンなこと知ってるよ!だからって無理ぜったい、…やっ、いやだって言ってるだろ!!」
「だいじょうぶ、問題ない(キリッ」
クダリに掴まれた俺の腕は、容赦なく掴まれているせいで多分手の形に赤く変色していることだと思う。――こいつヤンデレかよおい。
俺の生命が盛大に脅かされているその間、父親の持ちポケモンであるズルズキンは、歯を剥いたまま、渦中となった自身の腹と俺らを交互に見下ろしていた。その目からは感情が読み取れない。
「ひっ…」
全力で抗っているはずの俺だが、しかしその手はクダリの馬鹿力によって次第にズルズキンの腹にある黒いひだへと伸ばされ、
「や、」
さわってしまった、と思った瞬間、腰が抜けた。
勢い余って尻もちまでつく。しかし俺は腰を抜かしたまま、醜くも身を捩り引いた。
「いでっ」
もんどり打って壁に背中をぶつけて、腕の届かない距離が開けてやっと、息がつけた。
――死ぬかと思ったのだ。大げさでなく。
「……。ノボリ、今日もとくせいよわき?」
「なんだっていいよもう…ほっといてくれ」
俺が抱えている問題、それは、ポケモンがクソ怖いということである。
たとえ目の前にいるのがピィだろうが、俺は何もできずに死ぬだろう。
両親のポケモン相手でさえこうなのだ、もう生きていける気がしない。母はこうして慣れさせようと弟を嗾けているが、何度やったってポケモン超怖い。
誰だよ廃人大学生がポケモン世界に転生したらチートだろとか言ったやつ。社会に溶け込めないどころか家にも溶け込めてねぇわ。世界最弱確定だよくそ。死ね。氏ねじゃなくて死ね
「ノボリ、口きたない」
「生まれつきだよくそったれ」