憧れ




床に並べた道具の数々を、順番にバッグにつめる。
入れるたびに膨らんでいくリュックは、全部詰め込んでもあまり大きくならない。
必要なものはちゃんと揃っていると分かってるけど、やっぱりもっと持っていくべきだろうか…とゆとりのある中身に、改めて思ってしまう。

「うーん……なんか心配だなぁ」
「あらら、またひっくり返したの?昨日もやってたじゃない」

苦笑まじりの声に振り向くと、ドアの前にママが立っていた。

「ママ!いざ出発、ってなるとね」
「重くても疲れるだけよ。地図は?」
「持ったー」

膝元に置いた地図を振ってみせる。
地図は『たいせつなもの』。大切な物はいつでも取り出せる場所に入れないといけないから、最後に入れる組なのだ。

「トレーナーカードは持った?」
「うん」
「バンソーコーは?」
「持っ…あー」

救急セットの袋を開けてみると、入っていたのはガーゼ、細いテープ、それに消毒液。
そういえば後で入れようと思ってたのを、すっかり忘れてたんだ。

「ほら、とりあえず10枚持っていきなさい。少なくなったらすぐに買い足すことね。いざって時に大変だから」
「分かった。ありがと、ママ」

気づいていたのか、後ろ手に持っていたママからバンソーコーを受け取って、袋に入れる。
もう一度荷物チェックリストにチェック漏れがないかを確認して、はリュックを口を閉じた。

「忘れ物は無いし、お財布も持った。うん、大丈夫だいじょーぶ。それでママ、何かあったんじゃないの?」
「あ!忘れてた。ジムの方からお電話があったわよ。仕事が終わったからいつでも来ていい、ですって」
「マチスから?じゃあもう行かなきゃ」

ママの言葉に、リュックのベルトを片肩に引っ掛けて立ち上がる。……うん、そんなに重くない。これなら背負ったままでも十分走れそうだ。
道具のリストを書いた紙をゴミ箱に捨ててから、は10年過ごした部屋に背を向けた。
ママとすれ違うようにして、部屋を出る。
階段を降りるの後ろをついてきながら、ママが少しだけ強い口調で言った。

「マチス『さん』!は今日大人になったんだから、今までみたいに呼んじゃ駄目よ。――…一度帰ってくるんでしょ?」
「うん。でも邪魔だから荷物は玄関に置いとくよ。けど帰ってきたらすぐに出発するから。じゃあ、あんまり待たせたらいけないし…行ってきます」
「行ってらっしゃい。失礼のないようにね」
「はーい」

私はクチバシティの。今日、10回目の誕生日を迎えた。
この世界で10歳ってのは、どんな節目よりも大切な日。ポケモントレーナーとして、ポケモンと一緒に旅に出る資格がもらえる日なんだ。
私もご多分に漏れず、今日から旅に出る。
でも、そのために必要なことがいくつかあるんだけど…。

「こんにちはー、ですー」

その一つが、これだ。

ジムに入る。とりあえず大声で挨拶してみたが、ジムはしん、と静まり返って反応がない。
だがは特に気にした様子も無く、勝手知ったる我が家とばかりに奥へと入っていった。それもそのはず、は物心つくころからここを遊び場にしていたのだ。

「マチスー?マチスさーん?」

受付、競技場、どこにも目的の男はいない。どう頑張っても、物陰に隠れられるような存在感の持ち主ではないんだけれど。
…人を呼び出しておいて……。

「…うーん、事務所の方かなぁ。仕事する場所にはあんまり入ったことないんだけど……ん?」

廊下の壁の下のほうに、小さな落書きがあることには気づいた。黒色のボールペンか何かで書いてあるようだ。なんとなく、は壁に向かってしゃがんでみた。
……『クチバガールズ参上!』クリーム色の壁に、ミミズのような字がのたくっている。

「うわ、これ昔、私が書いたやつだ…。とっくに消されてると思ってたのに……」

懐かしい、より恥ずかしいという気持ちが先にたって、頬が赤くなった。
平均程度の身長しかないの、ちょうど腰くらいの高さにあるから、このジムに勤めている大きな男の人たちは気づかなかったかもしれない。けれど、間違いなく知ってる男が一人いる。










その日は、新しいジムリーダーの就任式だった。
昔からクチバは貿易で栄える街だったからジムリーダーには色んな地方の出身者がいたけれど、初の外国人ジムリーダーということで、みんなして見に行ったのだ。

私も、ママに連れられて、改築したばかりのジムへ行った。お祝い、というからきっと何か楽しいことがあるんだろうと思ったからだ。
就任式は外で行われていた。
ジムの入り口の前にステージが作られていて、その後ろには白と赤が交互に並ぶ、なんともおめでたそうな幕が張ってある。
私が行ったときにはもう始まっていて、ステージの上でクチバ市長さんだとか、ポケモンだいすきクラブの会長さんだとか、ママいわく『偉い人』が難しいことを延々と話していた。正直がっかりした。とってもつまらなかったからだ。

着いて早々飽きた私は、人ごみの中でスクールの遊び友達が二人が手招きしているのに気づいて、そっとママの手から離れてそっちに近づいていった。
ママに言ってから行こうと思ったけど、ママはとっても真剣に聞いてたから、やっぱり止めた。まぁ、バレる前に戻ればいっか。

ちゃんも来てたんだー」
「うん、ママとね。こんなつまんないなら来なかったのに!」
「じゃあさー、今二人でしゃべってたんだけど、中…入ってみない?」
「中?」
「ジムの中。今ならたぶん、だれもいないよ。パパが言ってたもん、今日は式しかしないから、ジムトレーナーさんは明日来るんだって。それで、ジムリーダーさんはたぶんあのテントの中でしょ?」

指がさしている方向を追ってみると、ステージの横に、白いテントがあった。
黒髪の背中はいくつもあるけれど、件の外人さんらしき姿は見えない。でも式の最後にリーダーの挨拶があるってママが言ってたし…、向こう側にいるのかな?

「かも。行っちゃう?」
「行っちゃう行っちゃう。うちら『クチバガールズ』が一ばんのりしちゃおうよ!もしかしたらおたからあるかもー」
「決まりね。じゃあ、あの赤白幕の後ろに回りましょう。今ならみんな会長の話に夢中で気づかないわ」

今から思えば、どうしてあれだけ人がいたのに子どもが三人ステージの傍を走っていったのを気づかなかったのか謎だ。
そんなこんなで奇跡的に忍び込めたものの、中は本当に無人なのか、明かりは一つもついてなかった。
入り口近くは窓から光が射していて明るかったものの、道なりに進むうちにだんだん陰が増えてきたのである。知らない内に、結構奥まで来ていたらしい。

「うわ、ここくらっ!どっかにスイッチない?」
「つけたら外の人にバレちゃうじゃない。…ジムって初めて来たけれど、結構狭いのね。それに殺風景だわ。珍しいものもなさそうだし、そろそろ引き返さない?」
「あ、わたし、ちっちゃいライトとペン持ってるよ」

の差し出したアイテムたちを覗き込んで、二人はニヤ、と子供らしくない笑みを作って見せた。

「さっすが、いつでも準備は100点まんてん!……さてさて、やっちゃいますか?」
「もちろん、それが私たちのポリシーだもの。壁ってのは初めてだけど、こんな下なら気づかれないわ。、今日の一等賞はあなたよ。サイン権はあなたにお譲りするわ」

三人で冒険した後に、その証を残しておくというルール。
今まで木や岩肌に書いたことはあっても、人のものに書いたことなどなかったのに。
冷静に考えれば子どもでも『やっちゃいけない』ことだって分かるのに、この日は未開地への冒険ということがあってか、いつもは注意する側の彼女でさえ何も言わなかった。
むしろ私たちが一番に見つけた!っていう、満足が生まれたくらいだった。

「んじゃあ、わたしが書くから、ここのかべ、ライトで明るくしててね」
「おっけー。ぱぱっとやっちゃってよ」

一人にライトを持ってもらってから、はサインペンの蓋を取った。
側面にキャラクターの描かれた、のお気に入りだ。

「クチ…バ…ガールズ…っと。出来た!じゃあ帰r」

いきなり引っ張られて、足が浮いた。驚いたのは私だけじゃなかったみたいで、バタバタと足音が遠ざかっていった。 …逃げた! 途中でライトが落ちたらしい。暗くなる。
なに、と首を捻る暇もなく、は体ごと宙に吊り上げられた。

「…うひぁあ!?」
「なんだ、迷子かよ」

ひとのこえ。
明かりに慣れたの目にはうすぼんやりにしか見えなかったけれど、どうやらずいぶん大きな男に背中の襟を引っ張られているらしい。首が苦しい。
…ポケモンじゃないなら、この際どんなやつでもいい!

「はなせぇ!」
「おいおい、随分威勢の良いGirlだな」

流暢な発音。スクールの先生より、うんときれいだ。…もしかして、この人って……

「flashだ」
「ライラーイ!」

ポケモンの声がしたかと思ったら、辺り一面が明るくなった。
すぐに、は自分を吊るしているのがどんな男か分かった。の二倍はありそうな大きな体。テレビの中でしか見たことのない、金髪と空色の瞳。怒られるかと思ったのに、なんだか面白い物を見つけた、みたいな目をしている。
隣にはオレンジ色のポケモンが立っている。体がちょっと光ってる…さっきのフラッシュは、このポケモンがやったのだろう。

「…ジム、リーダーさん?」
「イエス!ハジメマシテだな、オレはマチスだ。迷子はとっととマミーのところへ帰るんだな。名前は?」
「…。迷子なんかじゃ……あの、いたいんだ、けど!」
「ソーリーソーリー。バットここで離しちゃ逃げそうだしな、しっかり掴まってろよ」

お腹を押さえられて、うぇ、と奇妙な声が喉の奥から漏れる。
気づいたら、今度は男の肩に担がれていた。まるで米俵みたいに。

さっきまでたちが歩いていた道をたどるように歩きながら、マチスは何が面白いのか、ずっと豪快に笑ってる。
隣でポケモン…ライチュウも、おんなじ顔をして笑っていた。すごく仲が良さそうで、はふと羨ましくなった。

「お前、クチバの人間か?」
「?うん」
「一人でここまで入ってきたのかよ?」

思わず聞き返しそうになった。マチスは変わらず笑っている。でも、その目からは何を考えているのかは分からない。
…さっきまで三人でいたのに。ライトで照らされていたのは私だけかもしれない。けれど、他に誰かいたことは、きっと知ってるだろうに。

分からない。けど。

「……うん。わたしだけ」
「そりゃすごいな」

言ってはいけない気がした。
二人のことを言ったらもしかして二人が怒られるかもしれない、とか先生にバレたらもう三人で遊べないかも、とか後から色々思ったけれど、
この時は、この新しいジムリーダーのことを知ってるのが、わたしだけだったらいいのに。って思ってしまったのだった。

「…マチスさんは、どこから来たの?」
「海のうんと向こうからだ。アメリカっていうでっけぇカントリーだぜ」
「大きいの?クチバより?」
「何倍もな。ここよりデンジャーだが、まぁ良いところだ」

海の向こうにも大きな街があるなんて知らなかった。
けれど、マチスが来たところなら、見てみたい。きっととっても素敵なところなんだろう。
私の真っ黒のつまらない目と違ってこんなに青くてキラキラしてるのは、きれいなものをいっぱい見てきたからかもしれないと思うのだ。

そうぼんやり考えるに気づいたように、マチスが眉を上げた。

「連れていってやろうか?そうだな、オレくらい強くなったら連れてってやるぜ」
「ほんとう!?やくそくしてくれる?」
「あぁ、約束だ。その代わり、オレがうっかり忘れちまう前に強くなってくれよ。オレはあんま頭良くねぇからな」
「分かった!」

開けっ放しの扉が向こうに見えて、マチスは肩からを下ろした。
GO!と勢いよく背中を叩かれて、がたたらを踏む。そして、振り返った。眉を下げて泣きそうなに、マチスはまた豪快に笑ってみせた。

「ママンが待ってるぜ、スモール・レディー」
「…また遊びにきて良い?」
「今度はちゃんとチャイムを鳴らせよ」
「……うん!」


そうして、私はママのところに戻った。
ママはとっくに私がいなかったことに気づいてて、大慌てで探し回っていたらしい。
怒られるかと思ったけれど、無事で良かった、とママは泣いてて、わたしも素直にごめんなさいと謝った。

就任式も終盤に近づき、が最初の場所に戻った時には、新ジムリーダーによる挨拶が残っているだけ。
新しいジムリーダーは金髪碧眼の、クチバの海と太陽が似合う男として、みんなに歓迎された。










「おい!」
「ん?ってあー!!やっと見つけた。呼び出ししておいてどこに行ってたの?マチス」
「そりゃあこっちのセリフだ。いつまで経っても来ねぇし、しょうがねぇから呼びに行こうと思ったら廊下で壁見つめたままフリーズしてやがる。呼びかけても反応が無い。オレじゃなかったら恐ろしくてスルーしてるぜ」
「事務所で?え、聞いてないよ。こっちはここまで散々探してきたんだけど」
「…SHIT!そういや来いとしか言ってなかったな。まぁ良い、とっとと始めるか」

いやいや良くないでしょ、と咄嗟に口に出しそうになったけれど、結局何も言わずについていく。
あれから何年も経ったけれど、彼を見るたび何故か安心してしまうのは、いつまでたっても変わらない。
厳つい見た目から街には彼を怖がっている人も就任当初はいたけれど、不思議なことには一度だってそうは思わなかった。けれどその理由をは自覚している。

旅に出るために必要なこと、といっても、やることはどの街と変わらない。
自分の街のジムリーダーから旅に出る際の注意や心構えを聞いてから、『さいしょのポケモン』を貰うのだ。

「さて、決めてきたか?オレのオススメはこの三匹だ。とはいってもお前が昔から遊んでもらってたやつらだ、今さら説明なくてもノープロブレムだろ」
「遊んでもらってたんじゃなくて一緒に遊んでたの!」

真剣に考えているのに、からかうような口調で横槍をいれてくるマチスに、つい声を荒げて返す。

コイル、ビリリダマ、そしてピカチュウ。
ジムに遊びにきてもマチスが忙しかったり、ジムバトルをしている時は、いつもこの三匹と一緒に遊んでたっけ。

そういえば、ちょくちょく遊びに来てることは、クラスメイト達にも、そして遊び友達にさえも内緒にしてた。
ここでポケモン達と戯れながらマチスのジムバトルを見ている時が、一番幸せだったから。

「でも、ピカチュウに決めたの!この子でマチスのライチュウに勝つのが目標だから。言っとくけど、夢じゃなくて目標だよ。ジムバッチ、全部集めるんだから」
「言ってくれるな。じゃあ今からやってくか?バッチをかけて」
「ううん、今の実力じゃ手を抜かれそうだから嫌だ。今までみたいな遊びのバトルはもうやらない。マチスとは全力で戦いたいの」
「"walk the talk"だ、言ったからには絶対に実行しろよ。まぁ、なら出来ると思うぜ。簡単には負けてやらねぇけどよ」

うん、と頷くの頭に、マチスは帽子を被せた。そして帽子の上からの頭を撫でながら笑った。

「応援してるぜ」
「ありがとう、マチスさん。――行ってきます」








「次に帰ってくる時には、ボーイフレンドの一人や二人連れてこいよ」
「……マチスよりイイ男がいたらね」

 

2010.08.16. up.

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