「それで、ばっさりとな」
「はい、ばっさり。これから夏だから、タイミング的にはちょうど良かったんですけどね」
心もとない首元をさすりながら、はパソコンの向こうのオーキドにそう言った。
二年近く放置していた髪は、成長に伴って伸びていた。それなりな長さだった。
しかし、一度ついてしまったヘドロの臭いはいくら拭っても取れなかったため、切ることにしたのだ。
その原因となった、ベトベトン大爆発。フィールドの向こうのトレーナーにまで及ぶと想定していなかった彼の人は、何度も頭を下げながら、専用のシャンプーを用意すると言ってくれた。毎日それを使って洗えば、その内臭いは取れるらしい。けれどは切ることにした。ベトベトンが嫌いなわけではないが、ベトベトンの体液?をつけたままなのは、やはり嫌だった。
ちなみに服の汚れはポケセンで洗ったら一度で取れた。
さすがポケモンセンター。この街のジムリーダーがどんな技を仕掛けてくるか、そしてその結果チャレンジャーがどんな状態になって帰ってくるか。全部分かった上での洗剤チョイスだ。たぶん。
「しかし、これで5つ目のバッチじゃな。それも負け知らず。もなかなかやるのぉ」
博士の言うとおり、これでゲットしたジムバッチは、五つだ。
ニビのグレーバッチ、ハナダのブルーバッチ、クチバのオレンジバッチ、タマムシのレインボーバッチ、そしてセキチクのピンクバッチ。手に入れたバッチは半分を越えた。残りはヤマブキのゴールドバッチ、グレンのクリムゾンバッチ、そして以前からジムリーダーが行方不明となっている、トキワのグリーンバッチだ。
「実際は、辛くも、って内容ばかりです。私は足を引っ張ってばかり、勝てたのはあの子達の力です」
「ううむ…その言葉、謙遜か自慢か分からんな。ポケモンはトレーナーの鏡じゃからの。それはそうと、これからどこへ向かうか決めておるか?」
「えぇっと、数日セキチクに滞在したら、15番道路側からヤマブキシティに向かいます」
そして14、13、8番道路を通って、ヤマブキ入りする予定だ。
その後グレンに向かうためには再びセキチクを訪ねることになるが、今度はレンに乗せてもらえばいいのだから速い。
「んん?収集は済んだのじゃろう?今朝方送られてきたポケモンで、16、17、18番道路の野生ポケモンは全て揃っておるがの」
「明日からジムリーダーのキョウさんに、技と、技の使い方を教えていただく約束なんです。キョウさんは状態変化技が得意だそうなので」
「ほー、変化技を。わしも覚えさせたものだが、変化技というのは中々使うタイミングが難しいものじゃぞ」
「でも、今のスタイルが通用しない相手もいます。今日のバトルで凄く感じました。いくらポケモンが強くたって、トレーナーが一々動揺してたら、半分だって力を引き出してあげられないんだって」
今日バッチを手に入れられたのは、単純にこちらのポケモンの数が多かったからだ。使用ポケモン数が同じだとしたら負けている。
ゴリ押しのバトルスタイルでは、いずれ頭打ちになるのが目に見えている。
自分のスタイルを捨てなくても、他の人のスタイルから学べることはたくさんある。一番はスタイルを真似てみることだろう。そうすれば、良いところも悪いところも見えてくるはずだ。
それに彼のような耐久型スタイルも、一度はやってみたい。
けれど誰を“そう”するか…。レンとカイは4倍弱点がある。リクは速攻型だ、粘る暇はない。残るはユエとハクだが…。
「ふむぅ…よほど苦戦したんじゃな。キミがこうしてはっきりと弱音を吐くのは、初めてじゃないか?」
「……そうですか?」
そうでもない。あの子達には弱いところばかり見せてきた。
でも博士には、いや、あの子達以外の誰にも見せたくない。だって格好悪いし、情けない。本当はあの子達にもあまり見せたくないけれど、そっちは今更すぎる。
だけど、こう言われるってことは、少し気が緩んでいたかもしれない。
「……ちょっと、疲れたかな」
あの父娘を羨ましく思う気持ちも少なからずある。
わたしにだって父も母もいたはずなのに、甘えられる肉親はここにいない。
折り返し時点は過ぎたのに、自分につながる手がかりも、元の世界に帰る手段も、欠片すら掴めてやしない。
カントーには無いのかもしれない。ジョウト?シンオウ?ホウエンや、それよりずっと遠くにあるのかもしれない。けど、そんなに頑張れる気がしない。
「?、何か言ったか?」
「いいえ。――あ、もうそろそろ回復が終わります。今度はシオンに着いたら電話しますね」
「そうか。気をつけてな」
「はい。博士も」
接続の切れたパソコンをシャットダウンして、カウンターに向かう。
声を掛ける前からジョーイはこちらに気付いたようで、着く頃には、モンスターボールを乗せたトレーを机の上に置いて待っていてくれた。
「お待ちどうさま。お預かりしたポケモンは、みんな元気になりましたよ!」
「ありがとうございます」
レン、ハク、リク、カイ、ユエ。一つ一つボールを覗き込むと、それぞれに寛いでいるようだった。の視線に気付くと、アクションを取る。今日負ったダメージは、きっちり回復したようだ。
一通り確認してから、いつもの位置につける。――ふう、やっぱりここに無いと落ち着かない。
「またのご利用をお待ちしております」
さぁ、探索に行こう。目指すはセキチク東ゲート、15番道路だ。
午前6時。ジムを開く前にと指定されたこの時刻は、早朝フィールドワークに慣れたにとってはそれほど早い時間ではない。
それに、初夏にしても涼しいくらいで、体を動かすにはちょうど良い心地だ。
けれど街はまだ動き出す様子もなく、遠くポケモンの鳴き声が時々響く他はしんと静まり返っている。
方角的に、あの鳴き声の主はサファリのポケモンだろう。
「おはよう、アンズさん」
「ふぁ…おはよ。本当に来たんだ」
きっかり6時にたどり着いたをジムの前で待っていたのは、アンズだった。昨日と同じ忍ルック。けれど高い位置で束ねた髪は、昨日よりも荒ぶっている。
時間通りだね、とあくび交じりに言うアンズに、14番道路まで収集の手を広げなくて良かったと内心で思いながら、は尋ねた。
「キョウさんは?」
「奥にいる。準備があるんだって。さ、修行部屋に案内するよ。バトルフィールドは昨日壁を張り直したから使えないんだ」
「修行部屋?アンズさんの?」
バトルフィールドを縁取るように作られたジムの廊下を、アンズに並んで歩く。
しばらく足を進めると、様相ががらりと変わった。小さな階段があり、その先に武家屋敷を思わせる邸宅と縁側が続いている。ここからは住居スペースなのだろう。
「靴は脱いでそこに置いておいて」
「あ、うん」
「今はジムトレーナーがいないから、父上とあたいしか使ってない。だから修行部屋。ジムトレーナーが戻ってきたら、前みたく練習場になるんだけどね。――あ、そこ踏まないで」
「ぇ、」
アンズが指差したのは、これから右足を置こうとした床。けれど一歩遅くつま先が触れてしまう。
なんの前兆もなく突然板敷き数枚分の床が抜けた。右足が穴に突っ込む。――しかしその直前でアンズに手を引かれ、尻餅をつくだけで済んだ。
「あ、りがと…?え、何今の」
「あんたが足を置いたここ、他の床と比べて色が濃いでしょ。ここの色が違う床は、踏むと抜けるの。ついでに足を突っ込んでそっちに手をついてたら、上から金ダライが落ちてたね」
そっち、と指を差すのは、穴の前。
普通に歩いてたなら前のめりに倒れていただろう。それで金ダライって…、コントか。
「どんな時でも集中力を切らさないための罠。ジムトレーナーがここを使ってた名残だね。よく見てたらあんただって分かっただろうけど、一回目だから教えてあげる」
「THE・忍者屋敷……」
コントじゃなかった。
「人を傷つける類のものは今は無いけどね。昔は対人対ポケモンにと、色々あったらしいよ。父上に伺っても、はっきり説明してはくださらないけど」
「はっきり言えない罠って……、はっ!この木だけ、少し濃い…?」
「、うえ、うえ」
何のフリですかそれ。
とりあえずアンズの言うように上を見てみると、見事な金ダライがぶら下がっている。
おそらくこの木を踏むと落ちる仕組みだろう、そう結論して、色の違う木の左側に足を置く。
「はい、ハズレ」
「は!?…うわっ」
けたたましい音を立てて、一歩先に金ダライが落ちる。
アンズに服を引かれていなかったら、脳天直撃を免れなかっただろう。
「え、ちょ、なんで!?」
「タライはあそこにあったでしょ、そこからこのピアノ線を伝って、ほら、ここに繋がってる。さっきの罠に捕らわれすぎね」
「見えないって、普通は!!」
「見えるよ、あたいには。そういう修行を積んできたからね」
急に雰囲気の変わったアンズに、不満を捲くし立てようとしたは思わず口を噤む。
アンズの大きな目は、形こそ違うが父親と同じ目をしている。そしてこれまでのジムリーダーともよく似ている。強さへの執着。そしてそのために努力を積み重ねている人は、皆こんな目になるのだろうか。
だったら私の目は、どんなだろう。鏡を見たって分からない。バトルフィールドで向き合った時初めて、見えてくる。
「あたいはポケモンバトルじゃあんたに勝てなかったけど、あんたには無いあたいだけの良さだって、ちゃんとある。だからこの良さを伸ばして、いつか父上の跡を継ぐ」
「……」
昨日のバトルを通して、彼女はそう考えたのだろうか。
「何年先、何十年先になるか分からないけどね。そしたらジムリーダーのあたいに挑みに来てよ。あたいはあんたのこと認めてるから、どんな状況だって挑戦を受けるよ」
「…あんまり待たせると、利子だけでもすごいことになるよ?」
「それだけあたいの父上が偉大ってことよ。でも、必ずあたいが継ぐ。そしたら利子どころか、払い戻し分が必要なくらいのバトルをするよ。――…ここが修行部屋。奥で父上がお待ちだ」
障子戸の前で、アンズが振り返る。
あぁ、ここで終わりか。あまりに短い付き合いだったけれど、同じ年頃の、同じ女の子とこうして競うのは、楽しかった。
「楽しみにしてる。でもその時は、わたしだって強くなってる」
「あたいはもっと強くなってる。――バイバイ、また会おうね」
「うん。またね、アンズ」
2012.03.15. up.