ライトが灯った。
予備電源が動いたのだろう。

男たちの姿はない。

「――……」

体を支えるために寄りかかっていた壁を、ずるずると伝った。
終いには頭を預けるように壁にもたれ掛かるようにして座り込むと、は深く息を吐いた。

「…死ぬかと思った」

シャツを引っ張り出すと、背中側からボールが転がり出た。 水槽の前をふわふわと浮いていたユエを戻す。
作戦を決める時に腰ベルトとシャツの間に5つ目のボールを隠したのだが、気づかれなかったようで良かった。

これからの成長を見込んで大きめの服を買ったのも、功を奏した。 シャツがダボついている上に、ジャケットを着ていたから、多少膨らんでいても気づかなかったのだ。
買ったその日に後悔したが、禍転じてなんとやらというやつだ。

そして誰ひとり欠けることなく危機を脱出できたのも、本当に良かった。しかし、問題は一つ。

「うぇー…気持ち悪い……」

以前の『乗っ取り』に比べれば、後の疲労感自体は少ない。
だが短くはない同調時間と、油断させるためにエネルギーを存分に吸わせたことが相まって、ダブルパンチのように体に響いているのだ。

予想以上に活動限界がすぐに来た。
身を護りつつ攻撃することは普通出来ない。 それでも攻守を同時にするために負担を覚悟でユエを体に入れたのに、極度の吐き気から途中でユエを追い出してしまったのである。
それを察せられないように、ユエが入っているような演技をしながら一か八かブレーカーを落とすという暴挙に出たのだが……。

あの時ユエは、無理やり弾き出されたために、すぐに動けなかった。 そしても動けなかった。
ハッタリが利いて男たちは逃げていったが、暗闇に乗じて攻撃されていたら一たまりもなかっただろう。 今更ながら背筋に冷たい汗が流れる。

「……これからどうしよっか」

自力で動けるようになるまで、しばらくかかりそうだ。

入り口で眠らせた警備員が来るのを待つべきか。でもそれでは間違いなく後で事情聴取されるだろう。
警備員が眠ったこととブレーカーが落ちたこと、これからマツモト教授に催眠術をかけて記憶を弄るのも、全部侵入者の所為にするとして……。

…想像するだけで気が重い。

しかし、事情聴取を受けるとなれば確実にオーキド博士に連絡が入る。 そうすればすぐにあの黒ずくめの組織と接触したことがバレる。
旅を強制終了されるのは火を見るより明らかだ。

「……逃げるか。ごめんユエ、もう一回おねがい」

明日の筋肉痛は考えない。




















渋るレンに頼み込んで、大雨の中を飛び急ぐ。 連れてきたものをうっかり落とさないように握り直し、自分自身も落ちないように両足でレンの背中を挟み込む。

訪れて日の浅いタマムシシティには、トレーナーが押さえておくべき主要施設以外、ろくな記憶がない。
一番重要なのは、人がいないということだ。けれどこの雨で冷え切った体を温められる場所がいい。
しかし、カントー一の繁華街で、人気の無い所なんてあるのだろうか…。レンの背中から身を捩り、目を凝らす。

「……あった」

周囲に人影が無いことを確認して、テントの前に下りる。
降りた先は、『植物園』。 いくつものテントや庭園が広い園内に並んでいるが、空中から降りれば入場門を通らずに入れる。

「これは非常事態だからです。良い子のみんなは真似しちゃいけません、っと……。ありがとう、レン。あとで乾かそうね」

目の前は芝生の広場だ。晴れた日だったらお弁当を広げる家族の姿がそこかしらで見られるだろうが、こんな悪天候の日にはさすがに誰もいなかった。
グル、と咽喉を鳴らすレンを一撫でして、ボールに戻す。それからハクを出す。

「植物園まで焼け野原にしたら、言い訳できないもんね。ハク、手伝って。休める場所を探そう」

ハクは尾を器用にくるりと曲げ、エリカを挟み浮き上がった。思わずぎょっとしたが、エリカは別段苦しそうではない。
は扉を押してハクがテントの中に入りきるのを待ち、それから芝生のどこにも人影のないことを確認して閉めた。






テントの中は静かだ。 けれどもしかして、があるかもしれない。
折らないようにそっと枝を掻き分け、見学ルートの影になりそうなところを探す。

「ここなら大丈夫そうだね。ハク、ありがとう。ここにしよう」

ハクからエリカを受け取って、苔の上に横たえる。 茂みには到底隠れきれないハクをボールに戻し、着ていたジャケットを脱ぎ、掛けてやる。
温室の一つらしく、テント中は暖かい。けれど彼女の頬は青白いままだ。

「…全然目が覚めないけれど、大丈夫かな……くしゅっ!」

人の心配をするまえに、まず自分か。 雨に濡れて肌が透ける薄手のシャツ一枚では、一向に温まらない。それどころか今にも風邪を引きそうだ。
でも、掛けたばかりの服を取り返すのもなぁ…。……そうだ!

「ピィカー…」
「リク、湯たんぽがわりにしてごめん」

























ユエが言うには、放っておいても目が覚めるはずなんだけど。

「目、覚まさないなぁ…」

すっかり体は暖まっていた。
役目を終えて温室内の探検を始めたリクに誘われたのか、どこからか草ポケモンたちが続々と現れ、たちの周りで遊びだしている。
横たわるエリカを不思議そうにつついて見せたり、の頭に乗っかったり。 大騒ぎするつもりではなさそうなので、好きにさせることにした。

エリカの傍に座り込んでぼんやりと草ポケモンによる組み体操を眺めていると、一匹のナゾノクサがに赤い花を差し出した。
アマリリスだ。この温室のどこかから折ってきたのだろう。

「くれるの?ありがとう」

受け取り、くるくる茎を回して観賞していると、ナゾノクサがの頭をつついた。 疑問符を浮かべるに、ナゾノクサはクサで花をつつき、それからもう一度頭をつついた。
一緒になってポケモンピラミッドを見ていた周りのポケモンたちもふたりのやりとりに気づいたようで、周囲に集まり出した。

つつかれた髪に手を伸ばすと、心なしかナゾノクサの目が「もう、勘の悪い子ね」と言っているような気がする。 それは気のせいとして、やっと合点のいったがアマリリスの茎を短くして髪に挿した。

「どうかな?似合う?」

そう言って首を傾けると、ポケモンたちは飛び跳ねて喜んだ。
当のナゾノクサも満足げに頷いている。

「あはは…ねぇ、エリカにも挿してあげたいんだけど、同じ花って他にある?」

聞くと、ナゾノクサたちは一斉に頷き、同じ方向に向かって歩き出した。

「リク、エリカを見てくれる?すぐに帰ってくるから」
「ピィカ!」

木によじ登って遊んでいたリクにエリカをお願いして、はナゾノクサたちを追う。
 
…どうみてもナッシーにしか見えない木だったが、なにもいわないようだったから、ナッシー的にはいいのだろうか。
もしかしたら普段からよじ登られ慣れているのかもしれない。ここのポケモンたちは好奇心旺盛でとっても懐っこいから。









「うーん…一番似合うのは白だと思うんだけどね、今のエリカに白ってのは縁起が悪いからピンクにしよう」

眠り姫同然に昏々と眠るエリカに白い花を挿すのは、死者に花を手向けるようで何か嫌だ。
赤・白・ピンクと色とりどりに咲き誇るアマリリスから、ピンクのアマリリスを一輪もらうことにする。

ナゾノクサたちと連れ立ってほくほく顔で帰ると、当の彼女に動きがあった。

「エリカ?エーリーカー?」

呼びかけながら目の前で手をひらひらと振るも、まるで反応がない。
リクも真似して「ピーカーピー?」と声をかけているが、反応は同じだ。

上半身は起き上がっているのに、開いた目が虚ろだ。これはただ単に寝ぼけているのか、それとも催眠術の副作用的か何かか。

「ユエ、……え、本当に寝ぼけてるだけなの?――『春眠暁を覚えず』って…難しい言葉知ってるね」

正しくは乱された記憶を作り直している状態らしい。
人間は夢を見る間に一日の記憶を整理しているのだが、その夢を弄られたために脳が混乱し、こうして目を開けながら整理しているのだとか。

ユエが毒をすべて吸い取ったから命は助かっただろう研究員たちも、今頃はこんな状態なのだろうか。
もうしばらく放っておけばいいというユエの言葉に従って、いそいそとピンクのアマリリスの茎をちょうど良い長さに折る。

「…うん、美人は何しても美人だねぇ」

ピンクの花の髪飾りをしたエリカは、こんな虚ろな目をしていてもどこか抜けた天然のお嬢様にしかみえない。
それからぺちぺちと軽く頬を叩いていると、エリカの目が焦点を結んだ。

「あら……?」
「うん。エリカ、おはよう」

にこ、と笑ってみせると、「おはようございます…?」と呟きながらもエリカも条件反射のように気品のある笑みを浮かべた。
しかしすぐにきょろきょろと周囲を窺い、不思議そうに首を傾げた。耳の上に挿したアマリリスの花が、顔の動きに合わせて揺れる。

「ここは…植物園ですわね。どうしてわたくしはここにいるのかしら…。確か、タマムシ大学に行くと屋敷を出て、それからは…」
「その途中、植物に興味があるって言ったら、エリカが案内してくれるって言って、予定を変更したじゃない。でも暖かいって言って寝ちゃって…覚えてない?」
「そう…でしたわね。何故か少し記憶が朧で…大変失礼しましたわ、ごめんなさい。ここからはちゃんと案内いたします。でも…どうしてお召し物に汚れがついてますの?」

そこ、と指差されたところに目を向けてみれば、確かに灰色の汚れがついている。 きっと若い方の黒ずくめに蹴られて転がったときに、汚れたのだろう。
……どうしよう、あなたの大学の研究室の床が埃塗れだったからと言えばいいのかな。

「エリカが寝ているときにリクたちと遊んでたから、その時についたのかな」
「その程度でしたら屋敷に帰って洗わせれば、すぐに落ちますわ。では案内を、」
「それなんだけど」

立ち上がってふわりとスカートを翻したエリカを、は引き止める。

「今夜はポケモンセンターに泊まろうと思ってる」

断言口調で言うと、エリカはさっと顔を青ざめた。

「わたくし、やはりあなたを怒らせるような粗相をしてしまいましたのね。でしたら今すぐ、」
「違うよ。昼から晩にかけて生態調査をするから、センターの方が都合が良いんだ。それだけだよ」

「本当ですか…?」

エリカの目に陰りが浮かぶ。
ただ気に病んでいるのかもしれないが、記憶が戻りかけているということも考え得る。ジムリーダーに選ばれるだけあって、精神力も強いエリカだ。催眠術が解けかけているのかもしれない。戻らないでほしい。 そのためにここでさよならするのだから。
忠告はしたが、ユエの存在を知られた以上、三度目四度目の接触はいつだって有り得る。その時は一人で戦って、決着をつけるのだ。

「うん、それだけだよ。『エリカは一日中植物園にいて』、私に案内してくれた。すごく楽しかったよ。エリカってとっても博識なんだね」
「そう言っていただけると、とても嬉しいですわ。では、次のエリアは……あら、雨が降ってますわね。傘は…」

テントを出ると、先ほどと比べて幾分落ち着いた雨が、しとしとと降っている。
雨は朝から降っていた。

「あー…本当だ。“どこかに置き忘れたかなぁ”。…ねぇ、エリカ。泥水の上を走ってみない?」
「フフ…。乗りましたわ、その話」





















すっかり晴れた空を、エリカは眩しそうに目を細めながら見上げた。
彼女の夢は、普通の生活をしている人は当たり前に経験している、ちっぽけなことばかりなのだ。泥だらけの服を見合って笑ったり、雨の中を手を引かれて走ったり。
泥まみれになった靴は旅をしているにとってはなんてことないものだが、彼女の周囲の者にとっては天変地異ものだろう。

「わたくしたち、揃いも揃って泥だらけですわね。…ふふ、こんなに楽しい思いをしたのは何年振りかしら」
「エリカ。女中さんに怒られたら、私に脅されたって言えばいいからね。エリカは何も悪くないから」

引き摺られた時についただろう彼女の服の汚れも、泥跳ねと見分けがつかなくなった。
これで彼女の屋敷の者に不審に思うこともない。一緒くたになって洗濯されるか廃棄されるだけで、真実に気づく者はいないだろう。
でも、彼女が責められることはない。頬についた泥をハンカチで拭ってあげながら、は再三言ったことを更にもう一度繰り返す。

「…もう。はわたくしのことを勘違いしてますわ。わたくし、友達は絶対に裏切りませんことよ」

関係者用出入り口を通り抜けながら、拗ねたようにエリカが口を尖らせる。お嬢様然としたいつもの彼女では絶対見られない年相応の仕草。
それを見てから、はふと視線を逸らして呟いた。

「…エリカは強いね」
「友達が重い荷物を持っていても、半分を支えてあげられる程度の強さは持っているつもりでしたわ」
「え……?」

隣に並んで歩いていたはずのエリカの姿がないことに気づいて、慌てて振り返る。


「、ここでさよならですわ」

……もしかして、彼女は。…いや、ここで問うのは無粋というものだ。
出入り口の前に立って、エリカが笑みを浮かべる。スカートを泥で汚しながらも、その上にすっと伸びた手が上品に結ばれ、清楚な雰囲気は少しも損なわれていなかった。
凜として、美しい。綺麗だな、と素直には思った。

「あなたに会えてよかった。わたくしではあなたの支えになれませんでしたが、いつでもわたくしとカスミはあなたの友達ですわ。それを忘れないでいてください。――行ってらっしゃい。道中気をつけて」
「…うん。行ってきます。エリカも元気でね」

 

2010.11.13. up.
2012.02.23. 改

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