「とりあえず私が先に入る、エリカは後からだ。教授は警備の方に連絡をお願いします」
「は、はい!!」
ばたばたと音を立てて階段を駆け上がるマツモト教授を見送った後、は改めて壁に向き直った。
空いた穴は広い所でも60センチほど。縦は1メートルを超えるくらいか。通れない三匹をボールに戻して、4つ目のボールに手を伸ばした。外して、ボタンを押す。
それから床から数十センチの高さに出来たひび割れに足をかける。――…だが、
「……、待って!」
「ぅ、わ!?」
突然腕を掴まれ、はぐんと仰け反った。
息を飲む。かけた足が滑った。後ろに倒れそうになるが、とっさにバランスをとって持ち直す。
ふ、と無意識につめていた息を吐いた。 「…びっくりした、」 鼓動が正しく刻み直すのを待ってから、くるりと回って頭一つ高い彼女の顔を覗き込む。
「何が、したいんですか」
「やっぱり、駄目です。危険過ぎますわ。あなたは行ってはなりません。教授にはわたくしがお話ししておきます。…あなたは『何も見ていません』わ。だからどうかここから離れてください」
「いきなり何言って……エリカ、早く行かないと」
「行ってはなりません。わたくしはここの人間ですわ、現状を確かめる責任があります。しかしには何の関係もない。そういうことです。――…ここで、お別れですわ。ごめんなさい、こんな時にあなたを連れてきてしまって。あなたと出会ってわずかですが、とても楽しかったです。ありがとう、。あなたの旅の成功を祈ってます」
「あなたはわたくしよりずっと強い。もし一緒に来てくださったら、とても助かるでしょう。…恥ずべきことですが、わたくしはまずそう思いましたわ。けれど部外者のあなたを危険な目に合わせるなんて真似、許せないのです」
…そんな言葉、欲しくなかった。は唇を噛みながら、壁に背を向ける。
「――…エリカ、手を出して」
「!」
強張った表情のエリカを、は覗き込む。
彼女との間には今、見えないが分厚い壁があるのだろう。足を穴に掛けると、ざり、と音を立てて瓦礫が崩れた。
「あのさ。エリカ、昨日も言ってくれたよね。私と話せて楽しかったって。私も楽しかった。今もさ、不謹慎だけど楽しいと思う。エリカの役に立てるから。なんか、その…助け合える、って友達、みたいだし、」
「……」
「……いやっ、今のは何でもない!忘れて!!」
きょとん、とした彼女の顔にふと我に返る。
自分の言った言葉を反芻し、かっ、と頬が熱くなった。これは恥ずかしい。恥ずかしすぎる。これじゃあまるで友達になりたい、と強請っているみたいじゃないか。
「いいえ、決して忘れません。…けれど『みたい』じゃありませんわ。は、わたくしの大切な友達です」
「……友達が困ってるなら、助けるのが当然だよ。危険とか、迷惑とか、そんなの関係なしに」
ふ、と顔をほころばせたエリカの手を、は無言で引っ張った。
研究室の中は薄暗い。地下に位置するこの研究室には窓が一切無いため、明かりは天井に取り付けられた電灯に頼るしかないのだ。
先を行くエリカの誘導の下、は部屋と部屋とを慎重に通り抜けていく。
隣にはリク。いつでも飛びだせるように、と電気を帯びてわずかに発光している。
角を曲がって突き当たりの扉をスライドさせると、大きめの部屋に出た。
壁の一つは無数のモニタによって埋められている。モニタには緑色の文字の羅列。数秒毎に形を変えるそれが目に痛い。
「――…ここにも、誰もいませんわね。休校日とはいえ、研究員は常駐しているはずなのですが」
チカ、チカとランプの点滅するパソコンの一つに近づき、エリカはマウスに触れた。
すぐに画面が瞬き、ログインの文字が現れる。
キーボードを打つエリカから目を離して、は周囲を見回した。
広い。電灯の数は多くはないが、モニタに踊る文字に照らされて、見づらいということはなさそうだ。
「、わたくしたちがいるのはこの場所ですわ」
エリカがモニターの一点を示す。
そこには柱や壁の位置を書いただけの簡素な平面図が映し出されていた。
「部屋の右奥に扉が見えますね?その先が通路です。図だとここですわ。通路を道なりに曲がるとT字の分岐点があります。部屋が左右に1つずつ。左は資料室です」
「右は?」
「実験室ですわ。以前と変わりなければ、研究物は実験室にあるはずです。この先に侵入者がいるとすれば、実験室にいる可能性が最も高いと思いますわ」
「そういえばまだ聞いてなかったな。ここでは何の研究を?」
「進化の石の効力に関する研究ですわ。世界中から集めた石ですから、なかには稀少なものも。侵入者の目的は分かりませんが、狙っているものはその石だと思います」
進化の石か。
カントーで産出される水、炎、草、雷、月の石以外にも、力を持つ石が世界にはあるのか。
地方によって産出の割合が違うのならば稀少価値がつくものもあるだろう。
それが一所に会するとなれば狙われることもあるだろう、とは容易に想像がつく。
「一応、どっちも行かなきゃならないと思う。侵入者が一人とは限らないし」
「そうですわね。ただ、どちらかから攻めるか、二手に分かれて攻めるか…」
「それなら私が右に行く。ここから先は地の利なんて関係ない、でしょ?これ以上エリカに先を行かせられない。私からしたら、エリカこそ『身を守らなきゃいけない人』だよ」
「いえ、わたくしが実験室に、」
「エリカ、あなたはただのお嬢様じゃないんだよ」
彼女の身を案じている人は、私よりずっと多い。彼女に何かあれば、きっと悲しむ。
無茶な行動をするタイプには見えないが、出来るだけ危険からは身を遠ざけてほしい。そう思ってこの広く複雑な研究室を二人で行動してきた。
けれど別行動するとなれば、その前に聞いておきたいことがある。
「ねぇ、素人目だけどさ。いくらなんでもこの研究室のセキュリティと広さは大学レベルじゃない。エリカ、ここでやってるのは本当に石の力の研究だけ?」
いくら大学で最も力を入れている研究だからって、この建物は複雑すぎる。
「この研究室は過去の事故によって閉鎖されていたのですが、手を加えつつ数年前から使っているのです。だから研究が進むにつれて拡張工事を。その結果このように複雑な作りになってしまっているのですわ」
「…ふぅん」
「不便な点もありますが、ここ以上に設備と環境の整った所は他にありませんから。――…システム、計器に異常は見られませんわね。故障?…いえ、ここに来るまで誰ともすれ違わなかったこと自体が異状ですわ。やはり侵入者がいた、もしくはいるのですわ」
「…まぁいいや。ここで考えても時間の無駄だ。行こう」
「えぇ」
通路を道なりに曲がる。足音はできるだけ小さく。できるだけ早く。
突き当たって首を振る。奥にドアが二つ。気配は無い。
「お気をつけて」
「うん、エリカも」
視線を交錯させると、二人は背を向けた。
シュン――……
自動ドアが開ききらない内に滑り込む。
巨大な水槽、モニタ、計測器……奥にはまた扉。倉庫か何かに通じているのだろうか。今までずっと自動ドアだったのに、あの扉はノブのついた古い型だ。
見渡す限り所狭しと実験道具が並ぶ室内に、不自然に椅子が転がっている。
「!?」
初めは布の塊でも落ちているのかと思った。
瞬きを一つして、転がった椅子の足にすがりつくように伸ばされたなにかが、倒れている人の手でであるのだとはやっと分かった。
駆け寄って、膝をつく。服を引いて仰向けにすると、その人が身につけているものが白衣であることに気付いた。見て分かるほどに痙攣している。意識は無い。
エリカの言っていた、『研究員』か。
呼吸は。口元に手を添えると、弱弱しいけれども呼気を感じた。浅く、少ない。脈は。…まだ大丈夫。生きてる。けれどこのままでは助からない。
「……ッ、しっかりしてください!今、警備の方を呼んでます!!すぐに助けがきますから、しっかりしてください!!」
意識がないのだ。どうせ聞こえてやしないと思いつつも、必死で呼び掛ける。
原因が分からないのでは何もできない。すぐに助けがくるのか分からない 教授は何をやってるんだあまりにも遅すぎる このままじゃこの人は
……けど誰がいったいこんな真似を?
キィ。 何かが音を立てた。
「!?」
キィ。また、だ。何の音?――…このおとは、知っている。けれどどこで…
バネのように跳ねて、は立ち上がった。手を腰にまわす。きっと彼だけじゃ足りない。 あぁこのおとは、ドアノブのきしむ音だ。
扉が、開かれる。
「警備を呼んだって?…面倒ごとを」
この声。
一時だって忘れやしない。忘れたくたって、忘れられない。
「またお前か。――くたばったとばかり思ってたぜ」
「…勝手に殺すな、 人殺し」
あれほど反芻したのに。もう怖くない、と思ってたのに。
震える自分が情けなかった。
2009.06.19. up.
2012.02.23. 改