初めて見る海は、とてつもなく大きかった。
丘から望む景色は芸術家ならば誰もが描きたくなるような絶景で、港に停泊する、大きいはずの白い乗客船がとても小さく見える。
「マサラが海に面してるっていっても、博士の所からは遠かったもんな。それに海のポケモンは強いっていうから行かせてもらえなかったし…って、ぇえ!?みんな先行っちゃ駄目だって!!」
が感慨深げに懐かしい記憶を思い出している間に、気の早い3匹が飛び出していった。
最後の4匹目は、バタバタと水飛沫を上げながら跳ねていく。
「カイ、戻れ!!って……もう見えなくなったよ……あぁもう…特にレン…お前はそんな性格じゃなかったでしょ…」
一つ大きく溜息を吐いた後、は駆け出した。
すぐには息が切れないように、全力疾走の一歩手前の速さで、丘を下っていく。
ふと、オーキドの言葉が耳を過ぎる。
港は色々な人が集まるところだと、以前オーキド博士は言っていた。良い人間も、悪い人間も、みんな集まる。
その中には、ハクやレンのように珍しいポケモンを狙っていたり、リクのように『可愛い』ポケモンを狙っている人もいるのだ。それこそ、とんでもない手を使ってでも。
そういう人間がいることは知ってる。実際、この目で見てきた。
……やめよう。今は考えちゃ駄目。さすがに人ごみの中で行動を起こす馬鹿はいない。あの子たちが見たいのは海。それなら、海に向かってひたすら走れば捕まえられる。
目の前に広がるのは、漁業で栄える街にありがちな大きな海鮮市場。
人だかりの中に入る前に大きく息を吸いなおすと、潮の香りがした。
見据えた空の先には優雅に揺れる銀色の尾。
「…頭隠して尻隠さずってか」
一つ目の当たりをつけ、一瞬開いた人ごみの隙間に、ぐ、とつま先に力を入れ飛び出した。全身をバネのようにして駆け抜ける。
この走り方はレンがまだヒトカゲだった時、彼との修行の中で身についた。
そして、こうして走る度に、爽快感に高揚感を抱く。自分が風にでもなったみたいで、ずっと走り続けたくなるのだ。
見つけた、と思ったのはこの一角の空気がどこか静電気を帯びていたから。
狭い路地裏を越えた先に、が見たものとは。
「ビッ…ピカチュー!!」
「おおよしよーし。ピカチュウよ、わしは怪しいもんじゃないぞ。だからちょっとだけでも触らせて…」
「ビッカ…!!」
耳を立てて威嚇するピカチュウと、それににじり寄る老人、空中をふいよふいよと漂いながら彼らを見守るハクリューに、海を見ながらたそがれるリザードの姿だった。
「…なんじゃこりゃ」
思わず立ち止まってしまった。
「…!、リュー!!」
その姿に真っ先に気づいたのはハク。一目散に飛んでくる。
それを受け止めながら、は再び駆け寄った。
「あの、何をなさってるんですか?このピカチュウは私のポケモンなんですが」
「おお!キミのピカチュウなのか!!なかなか良く育てておるようじゃな」
の言葉に、くるりと振り向いた変な老人は、残念そうな声を出した後、いきなりピカチュウを褒め始めた。
しかし、突然口を噤んだと思うと、まじまじとを見つめたあと、ぽん、と手を打った。
「いやでもしかし、キミは旅人にしてはあまりにも若すぎる。さてはこのピカチュウは誰かのペットではないかな。ならば一匹でいたのをわしが見つけた以上、このピカチュウはわしのものということに…」
「いい加減にしてください」
の剣幕に、うぐ、と圧倒された老人は、突きつけられた特別証を見て、ひたすら頭を下げることになった。
そこには、誰もが知る『オーキド博士』のサインと、『ポケモン協会』の認定印が記されていたから。
どうしてもお詫びがしたい、とは強引に手を引かれた。そして『ポケモン大好きクラブ』と書かれ、真ん中にピカチュウを模ったマークを象った看板の掛かった建物に連れ込まれる。看板は可愛い。看板は。
「本当にわしが悪かった。わしはピカチュウが大好きでの、どうしても欲しかったんじゃ。もはや許してくれとは言わん。ただ…ただ…大好きクラブの会長の座を降りるだけじゃあ!うわーん!!」
本格的に泣き出した変な老人こと大好きクラブ会長に、は声をかけようともせず、茶と茶菓子を持ってきてくれた女性にお礼を述べていた。
まぁ、ご丁寧にありがとう、とに微笑んだ女性は、去り際「会長、見苦しいですよ」とただ一言呟いた。
一瞬の沈黙の後、すすり泣きの声が二人の間に響く。
嗚咽の中、茶菓子をゆっくり食べていたは、最後の茶を飲み干してから口を開いた。
このまま待っても埒が明きそうになかったからだ。
「別に、そんな怒ってるわけじゃないです。会長のお気持ちも分かりました。会長や、ここの会員の方がポケモンを愛しているのも分かりました。だからもう良いです。会長の座も降りなくて結構です。だけどリク…このピカチュウは私の仲間ですから、連れて行きます」
ご馳走様でした、失礼します、と目礼して扉を開く。
扉の先には、さきほどの女性が立っていた。他の者はちらちらとに目を向けながら、他事を装う。
それでもちくちくと視線を感じるために女性を見上げると、にこりと笑われた。
つられて笑い返す。
「あのね、こんな時に言うのはなんだけれど。私も含めて、みんなが貴方のポケモンに興味あるの。あの会長があそこまで興奮したポケモンを見てみたいな…って。駄目かしら?」
「そのくらいなら構いませんよ。…ただ、ここじゃ入りきらないから、外に出ましょう」
ハクリューの大きさは、一般的に4メートルくらいある。
ハクの場合それより少し小さいけれど、それでも部屋に出すポケモンではない。
クチバシティは、色々な人が集まる街。セキチクからの旅人も多く立ち寄る。
だから、マサラやニビに比べれば、ハクリューはそれほど騒ぎの対象にならない。それなら、少しくらい見せてあげたって構わないだろう。色々ご馳走になったし。
は忘れていたのだ。
彼女のポケモンが、人との接触を本来取らないちょっとした伝説級のポケモンであったり、進化したとたん性格が変わって主人以外は誰にも触らせようとしないタイプだったり、そもそも主人が気を許した相手以外はとことん人嫌いをするタイプであったことに。
そんなわけで、コイキングのカイが一番人気であった。
くりくりした黒い瞳に宿る闘志と輝きがなんとも素晴らしいのだとか。
さらに『ちゃんに似たのよ』とまで言われてすごく嬉しい。
ついでに言っておくと、会長は入り口の扉に隠れながらそっとこちらを窺っていた。
会長を辞めるなと言った(言ってない、降りなくていいと言っただけだ)、の心広さとやらに咽び泣きながら。
今日はクラブに泊まっていったら、の言葉を丁重にお断りして、ポケモンセンターに宿泊する。
明日はクチバジムに挑戦するつもりだ。今まで順当に勝ってきたのだから、この流れで3つめのバッチをゲットしたい。
――クチバジムのジムリーダーは電気ポケモン使いだという。
いくつもの作戦が浮かんでは消えていく。
体全身に心地よい疲労感を感じながら、いつの間にかは眠っていた。
2009.06.19. up.
2012.02.22. 改