ベットに腰掛けながら、カスミは言った。
「ねぇ、。一緒にお風呂入らない?」
これで二度目だ。
それでもは手元から目を放さない。
手慣れた様子で赤色の四角い機械を操作し続けている。
カスミの問いに、先ほど「図鑑」とただ一言呟いた代物。
ふと興味を持って覗き込むと、スターミーの姿が映っていた。
「…ふぅ。あ!返事しなくてごめん。でもこれは私の仕事で、やりきらないと気になってしょうがなくて。ええと…お風呂の話だっけ?」
それには答えず、の手元をまじまじと見ながらカスミは呟いた。
「これって、さっき私がメイドを慰めてる時に隣で出してた赤い光線の正体?」
「うん。記録には捕獲が一番良いんだけど、トレーナーのポケモンだと倒しても記録出来るんだ。出現場所なんかは打ち込めないけどね」
の指がボタンを押すたびに変わる画面。
ヒトデマン、スターミー、トサキント、タッツー。これらは全部カスミのポケモンだ。
「私さ、つりざお持ってないから水ポケモン全部は捕まえられないんだ。だから、大抵は釣り人からそこに何が棲んでいるのか教えてもらうんだけど、おおっぴらにはデータが取れない。こういう時は住処を教えてもらって、いつかのために記憶しておくの。あ、あとオーキド博士が図鑑を作ってるのは、一部の人にしか伝えちゃいけない。悪用されたら大変だから。…だから、カスミも内緒だよ?」
にや、と笑いながら。
当然でしょ、と不敵に返しながら、カスミは三度目のセリフを言った。
「お風呂……。うーん…でも別々の方が良いと思うよ?傷、残ってるから。正直気分悪くなると思う」
「そう言うと思ってたわ。大丈夫、絶対気にしないから、とは言えないけど、でもとまだまだ話し足らないのよ。明日には行っちゃうんでしょ?」
「うん」
あのままジムでバトル三昧。そして互いの知識を分かち合った。
気づいた時にはとっぷりと暮れ、涙目のメイドが迎えにきた。
なんでもカスミはハナダ一の名家のお嬢様らしい。
いつまでも帰ってこないカスミに、まさかお嬢様の身にもしものことが、とお屋敷は恐慌状態だと嗚咽交じりにメイドは語った。
それを見てカスミは「あちゃー」と言い、ハンカチを差し出す。
それを見ながらは思った。なんともお嬢様には程遠いなと。
それから二時間後。
先に食事を終わらせた二人は、カスミの部屋で向かい合っていた。はずだった。
「次はいつ会えるか分からないし、もしかしたらずっと会えないかもしれないわ。――なんとなく、は遠くに行っちゃう気がするの。その役目が終わったら、あんたはカントーなんてちっちゃな所に留まっていられない。もっと遠くに行って、広い世界を見るのよ。そんな気がするわ」
真剣な顔で紡がれるその言葉は予言じみてさえいた。
だがリュックに図鑑とキーボードをしまっていたは、手を止めてカスミをじ、と見つめるだけだった。
ややあって口を開く。「上手く言えないけど、」そう前置きしてから、ぽつり、ぽつり、と不器用に言葉が漏れる。
「広い世界って、素晴らしいものかな。人は常識って枠の中でしか物事を見られないんだ。でもそれって、とっても狭い世界だけど、幸せな世界だよね?だって『自分』が壊れることはないから。それにさ、常識ってのはその人の歩んだ人生でもあるんだから、捨てようと思って捨てられるものじゃないし、捨てるには、大きな対価がいると思う。捨てるのは、『自分』だもん」
まぁ、私は捨てる以前に初めから持ってないけど。そう言って、小さく笑う。
「お風呂、行こ」と立ち上がり背を向けるを、カスミはただ見上げ続けることしかできなかった。
『あんたが持ってないのは…』
けれど喉元まで出かかった言葉は、訝しげに振り返る少女を前に無理やりにでも飲み込むしかなかった。
代わりに出てきたのは、お得意のからかいが混じった笑い声。
「あんた、私ん家のお風呂を見ておったまげるんじゃないわよ?」
「…おったまげる、って今時の子が言うセリフかな」
実際おったまげたのはカスミの方だった。
しかしそれは当社比というやつだ。
もで風呂場に入った時、目をまん丸にしていた。
「お嬢様ってすごい…」、そう言ってくるりと背を向けたを慌てて引き止めたのはカスミだ。何故逃げるの。…汚したら申し訳ないから。お風呂は汚れを落とすためにあるのよ、はい論破。
カスミが驚いたのは、の背中の状態だ。あの時は慌てていたし、血で汚れていてその全貌を見てはいなかったが、こうしてまじまじと見ると、同性として思わずにいられないことがたくさんある。
「……今の医療技術なら、多少は消せるんでしょ?」
「少しはね。けどいいんだ。忘れないために、ずっと背負っていくつもり」
「忘れないため?」
「うん。それと強くなるため。もう二度と逃げたくないから」
この話はお終いね、そう言って湯船から上がったに、掛ける言葉は見つからなかった。
言外に隠された何かが、カスミに二人の間の距離を感じさせた。
2009.06.19. up.
2012.02.22. 改