「ちゃん、熱心すぎるのも体に悪いわよ」
「ナナミさん。…すみません、この本が面白くて」
真っ暗な部屋に卓上ライトを一つ灯し、机に向かっていたに、背後から声がかかった。
振り向いて、こら、と全く怒ってない声で叱るナナミに小さく頭を下げる。
静かにしていたつもりだが、起こしてしまったのなら迷惑だっただろう。と謝ると、そういうことじゃないのよ、とナナミが眉を寄せた。
「…ふふ。でも、わたしも眠れなかったのよね。入ってもいいかしら?ココアを持ってきたのだけど」
「わ、ありがとうございます。どうぞ」
今まで読んでいた本を机に置いて、マグカップを受け取る。
飲むと途端に口の中に広がった甘いココアの味に、は無意識に笑みを浮かべた。
それを見てから、ナナミはベッドに腰掛ける。
その手にはに渡したものと色違いのマグカップがあった。
「あら、おじいさまの研究書ね。でももう3時よ。徹夜は駄目、ちゃんは今が成長期なんだから」
「成長期。成長期かぁ…。ナナミさん、私、何歳に見えます?」
ナナミは、上目遣いで見上げるをじっと見つめる。
「――そうね…8歳か、9歳って所ね。でもちゃんは大人びているからそう見えるだけで、実際はもう少し下だと思うわ。グリーンと同じくらいかしら。あの子もどこか大人びたところがあるのよね」
「グリーン…弟さんですか。写真で見たことしか無いですけど…それも、6歳ぐらいの写真でしたよ?」
「あの子、今の写真を送ってくれないのよ。テレビ電話で連絡はとっているんだけど…。ジョウトにいてね、ちゃんにもいつか会わせたいわ」
「ええ。私も、会ってみたいです」
ナナミさんと同じ色の瞳と、ツンツンと尖った髪をした、不機嫌そうに眉をひそめた同い年の少年に。
「それで、どうしたの?お化粧…は、ちょっと早すぎるわ」
「いや、そういうのじゃなくて。――この見た目じゃ、なんにも出来なくて、その、……困ったなぁって最近思うようになって」
「ちゃんは、旅に出たいのね?トレーナーになって旅に出るのは、10歳からと決められているものね」
少し迷って、首を振る。
「正確には、博士の手伝いがしたいんです。少しでもお返ししたい。そのためには旅に出るのが一番だって分かっているのに、どうもできない“年齢”が足りない。だから…悔しいなって。何も出来ない自分が悔しい」
「何言ってるの、ちゃんは何も出来ない子じゃないわ。現におじいさまはちゃんがいてくれて随分助かってるとおっしゃっていたもの。私にとっても、ちゃんがいてくれて嬉しいのよ。妹が出来たみたいだもの…。――でもちゃんは、それじゃ満足しないのね」
ナナミに問いかけられ、今度は頷く。
手の中のマグカップに口をつける。ぬるくなってより増したココアの甘みが舌に残り、自分の甘さを突きつけられているようだと思う。
「旅に出るのが一番って言うのは、ちゃんがおじいさまの夢を知ってるから、ね?」
「博士は、昔からの夢だっておっしゃってました。だけどポケモンを持つのも、旅に出るのも、10歳からって決まってるんですよね」
「えぇ、そうでないと危険だから。でも、そうね……、強い心と実力があるなら、待たなくてもいいかもしれないわ」
「え?」
わたしから聞いたって、言わないでね。
そういたずらっぽく微笑んでから、ナナミは独り言のように囁き始めた。
「その悩み。おじいさまなら、どうにか出来るかもしれない」
……でもちゃん、あなたに、あの頑固おじいさまを説得できる?
「できるできないじゃなくて“する”んです、ナナミさん。――ヒトカゲ、『ひっかく』!!」
「カゲッ!!」
『みだれづき』を『かげぶんしん』で避け、攻撃の間に出来た隙を縫って一撃を食らわす。
「ギャッ」
「戻れ、オニスズメ!!次は…ゼニガメ!!」
「ゼニ!!」
「ゼニガメ、ヒトカゲに向かって『みずでっぽう』連射!!ヒトカゲはそれを避けてゼニガメに『ひっかく』!!」
の指示を聞いて、二匹が対面する。
先に動いたのはゼニガメ。
口から勢いよく水鉄砲を発射する。
「ゼニ…ゼ二――!!」
「カゲッ!!」
スピードはヒトカゲに分があるが、防御はゼニガメが上。それに相性の悪さもある。
いくらノーマル技の『ひっかく』で体力を削っても、当たり所によっては『みずでっぽう』一発で決まることもある。
しかし、だからといって始めから勝敗が決まっているわけでは、勿論ない。
「―ーおお、やっとるの」
「オーキド博士!」
草を掻き分け、オーキドが顔を出した。
白衣を着ていないから、休憩中なのだろう。
「随分とヒトカゲの動きが良くなったようじゃな」
「最近バトル三昧なんです。あの子、バトルが大好きみたいで。朝からずっと催促ばっかですよ。研究所の他のポケモンも貸していただいて、ありがとうございます」
鬼ごっこならまだしも、バトルの相手など命がいくつあっても足りない。
そう頭を下げると、なんのなんの、と笑いながら、オーキドはぶつかり合う二匹と、の腰に並んだボールを交互に見た。
「体力が有り余っておるのか、隙あらば抜け出そうとする不届きモノもおって参ってたんじゃ。のトレーニングに付き合いだしてからはいなくなったがの。こっちこそ感謝しておる」
「ふふ、特にこのゼニガメくんなんてそんな感じですね。一番元気です」
「ゼーニ!!」
「うん、キミのことだよ」
尻尾を振りながら足元でを見上げるゼニガメの姿に気づいて、頭を撫でる。
そこで気づいた。
バトルの邪魔にならないようにとフィールドから離れていたのに、どうして足元にゼニガメがいるのか。
先ほどまで二匹が戦っていた場所に目を向けると、ヒトカゲが頭から地面に突っ込んでいた。
尻尾の炎がゆらゆらと揺れている。
こ、これぞ頭隠して尻隠さず…なんて場合じゃない!!
「ヒトカゲ〜!!大丈夫?」
「カゲェ…」
慌てて駆け寄って引っ張ると、きゅう、と音を立てて倒れてしまった。
ポシェットから木の実を取り出して、食べさせる。
「やっぱ、ゼニガメはきついなぁ…。近づいても離れても『みずでっぽう』、交わして接近戦に持ち込んでも『からにこもる』でダメージ半減だもんなぁ」
「カゲ…」
そう冷静に分析するだが、復活したヒトカゲは、その言葉を聞いてしゅん、と落ち込んでしまった。
それを見て、ゼニガメが「ゼニゼーニ」と囃し立てるように笑う。
しかしそんな声に耳を貸すこともなく、敗因と対策を考えていたは、俯くヒトカゲの顔を両手で挟んで上げさせてから、勝気に笑ってみせた。
「私は諦めてないのに、ヒトカゲは諦めるの?次は勝つのに」
「……、カゲ!カゲッ、カーゲッ」
「よし、次は『かげぶんしん』でフェイントをかけよう。殻から出てきたところに、『とっしん』だ。出来るな?」
「カゲッ!!」
再び闘志を燃やしはじめたヒトカゲにうん、と満足げに頷き、立ち上がる。
そして振り向いてオーキド博士と、その足元にいるゼニガメに視線を遣った。
「ゼニガメ、もう一回頼むね。――行け、ヒトカゲ!!」
過たず激突する二匹を見つめながら、はオーキドの隣に立った。
「すっかり“トレーナー”じゃな」
「そんなっ、ひよっこもいいとこです。…あの、ナナミさんに雑誌を見せてもらいました。オーキド博士、トレーナーとしても凄かったんですね」
びっくりしました、というの言葉に、オーキドは照れたように頭を掻いた。
見上げると、耳がうっすら赤くなっている。
どうして教えてくれなかったのだろう、と思う。
“セキエイリーグ初代チャンピオン”なんて、誰に誇ってもいい、物凄い記録だ。
ナナミさんに教えてもらえなかったら、きっと知らずにいた。博士である彼しか知らないでいただろう。
「ナナミのやつめ…。昔の話じゃ。今は研究一筋じゃよ。ワシはずっと昔から思い描いていた夢があってな…、」
「“ポケモン図鑑”を作ること、でしたね」
「そうじゃ。もうすぐ試作品が出来る。ただ誰に頼めばいいやら…。ナナミはホウエンで生活しておるし、グリーンはまだ幼い」
「その役目、私じゃ駄目ですか?」
目を瞬かせるオーキドに、は言い募った。
「私、博士のお手伝いがしたいんです。ずっとお世話になりっぱなしですし、何も返せてない。ここにいたら、ずっと博士に甘えてしまうと思うんです。――私が図鑑を完成させます!だから、旅に出させてください!!お願いします!!」
「その気持ちだけで十分じゃ。それにキミには、いつも感謝しておる」
「違っ、そうじゃないんです!」
「思いつきならやめなさい。きっと一年や二年で終わるものでない。確かにキミはトレーナーのセンスがある。同世代の子どもに比べれば知識もある。ポケモンに対する愛情も十分じゃ。じゃが、危険すぎる」
初めて聞いたオーキドの低い声に、思わず俯きそうになる。
けれど絶対に目を離すもんか、と強く思いながら、顎を上げる。オーキドを見据える。
目の端で、『とっしん』を繰り出したヒトカゲが、ゼニガメを倒していた。
「危険なことは、理解しているつもりです。そのために、私はこのカントーとポケモンについて、そしてバトルの仕方を、全部頭に入れてきました。許可をいただくために」
「旅に出るには、トレーナーカードが必要じゃ。そして、それには10歳以上という規約がある。もちろん、知っとるな?」
「はい。でも、特別証というのがあるのも知っています。権威ある人物の推薦を受け、ポケモン協会が認めたならば、10歳に満たなくても旅に出られる。違いますか?」
「………」
見つめ合って、というにはひどく重い空気の中、どれだけの時間が経ったのか。
が目の乾きを覚え始めた頃、オーキドは溜息と共に相好を崩した。
「お前さんには負けるなぁ。こんなに気が強いとは思わんかったぞ」
ついてこい、と背中を向けたオーキドに、慌ててゼニガメとヒトカゲをモンスターボールに戻し走り寄った。
モンスターボールをベルトに装着しながらふとに、ヒトカゲがゼニガメに初勝利したことに何も言わなかったことを思い出す。
最後まで見届けられなかったが、旅に出る勇気をくれたのも、俯かずにすんだのも、ヒトカゲのおかげだ。
あとから全力で褒めてあげよう、ありがとうも言おう。そう思いながらオーキドの背を追った。
「これが、“ポケモン図鑑”じゃ。未完成じゃがな。今の時点だとデータは無いに等しい」
「無いに等しい…?」
手渡された赤い機械を持って、言われたとおりに開けてみる。
ピッ、と音を立てて、画面が表示された。『No Data』、そう表示されている。
「ここに入っているのは、現在確認されているポケモンの画像じゃ。150匹分入っておる。じゃが、それでは図鑑とは言えない。全てのポケモンに出会い、データを記録して欲しいのじゃ。――そうじゃな、まずはわしが説明しよう。ヒトカゲを出すのじゃ」
その言葉に、ベルトホルダーからモンスターボールを外し、真ん中のボタンを押す。
過たずボンッ、と音を立ててヒトカゲが現われた。状況が飲み込めないのだろう、首をかしげている。
「まずは図鑑を向ける。すると図鑑がポケモンを認識する。まずはこれで照合が完了じゃ。ヒトカゲだと、図鑑上に種族名『ヒトカゲ』、分類名『とかげポケモン』が表示される。次に、このボタンを押すと赤い光線が出る」
「わっ!?」
「もちろん、ポケモンに影響は無いぞ。これをポケモンに翳すのじゃ」
しばらくすると、ピピッと図鑑が音を立てた。
「見てみなさい、図鑑に何と表示されとるかの?」
「ええと…『たかさ 0.6m おもさ 8.5kg』、です」
「今の光で、ポケモンの身長、体重を計測する。ここからがの腕の見せ所じゃ。ポケモンのタイプ、また特徴を記録して欲しい。その時には…」
机の中から小型のキーボードとコードを取り出す。
「こうすれば、図鑑にキーボードを接続出来る。メモ程度の文章の打ち込みが可能じゃ。やってみるかの?」
言われるままにデータ記録画面を出し、キーボードを叩く。
タイプは炎…、特徴…は、……
「あはは…キミのこと、メモじゃ書ききれないね。一緒に生活して初めて分かったこともあるし」
「カゲ?」
困った顔で笑っていると、オーキドがの頭にぽん、と手を置いた。
「そうじゃ。ポケモンは奥が深い。ずっと一緒にいるから分かることも、いるからこそ分からなくなることもあるのじゃ。言葉も交わせぬしな。だからこそ、大事にせねばならん。言葉を交わせなくても、ポケモンにも感情があるのじゃ。安易な気持ちで接してはならん」
「はい」
「協会にはわしが申請書と推薦状を送る。受理後、すぐにバトルテストと筆記試験があるはずじゃ。及第点、など許さんぞ。その程度の実力と決意なら協会が許してもわしが許さん」
「はい、満点とります」
顎を上げてそう言い切ると、強くなったな、と微笑まれた。
……本当に、強くなれたのだろうか。
いや、まだ足りない。もっと強くなりたい。バトルだけじゃなくて、心も。
不安なんて感じないくらい、感じさせないくらい、強くなりたい。
――誰と強くなりたい?
決まってる。けど、この子は博士の…
無意識にじっとヒトカゲを見つめていたに、オーキドは微笑んで、ヒトカゲの入っていたボールを渡した。
「このヒトカゲはにやろう。…まったく、こやつときたら、にばかり懐いてわしの言葉は聞かん。よっぽどお前さんと旅に出たかったようじゃの」
「本当ですかっ!?」
「カゲッ!!」
オーキドの言葉に、は思わず図鑑を落とし(といっても10センチほどだ)、ヒトカゲはに飛びつきしきりに頬をすり合わせた。
「ずかっ、…ちょっ、ヒトカゲ、くすぐったいよ!!図鑑、図鑑が落ちたっ、」
「そう簡単に壊れやしない。それより、早く名前をつけてやりなさい」
「なまえ、ですか?」
「今、このヒトカゲはただの『ヒトカゲ』じゃなく、のヒトカゲになった。これからはキミと共に旅立ち、キミと共に成長する。そんな仲間に、名前をつけてやりなさい」
「はい。……そうだなぁ、…なんて、実は前から考えてた名前があるんです。もしこの子と旅に出られたら、って」
今までありがとう。これからもよろしく、―――『レン』。
2009.06.19. up.
2012.03.18.改