目覚めると、どこかに寝かされていた。
背中には柔らかいマットの感触。

…ぅ……、ここは…?

視線を周囲に巡らすが、自分のいる場所が分からない。
天井まで積まれた本棚、カーテンの隙間から陽光が挿しこむ窓、薄いベージュの壁。どうやら、自分はベッドらしきものに寝そべっているらしかった。

更に視線を巡らす。見知らぬ誰かが背を向けて立っていた。

「ぁ……」

思わず呟いた声は、咽喉に張り付いたように、まともなものではなかった。
それでも微かには届いたようで、男…老人?が振り返る。目を見開き己を凝視する少女に近づき、ゆっくりと覗き込んだ。

「目が覚めたようじゃな。気分はどうかの」
「……だれ…?」
「ワシはオーキドじゃ。ポケモンの研究をしておっての、オーキド博士、と呼ばれるのが多い。――待っていなさい、今、水を持ってくるからの」

久しぶりに話して咽喉が痛いじゃろう、と穏やかに微笑んで彼が背を向ける。
いやだ、行かないでっ、一人になりたくない…慌てて身を起こそうとするけれど、気持ちに反して体が動かない。どうして。わたしのからだなのに。

「オ…オーキド博士!」
「何じゃ?」

彼はドアノブを握ったまま、振り返る。

「ここは…どこですか?」

その言葉に、オーキドはドアノブから手を離した。そして窓へと足を進め、カーテンを開け放った。
一面に広がった緑と、空の青さが目に飛び込む。

「マサラタウンじゃよ」

風が、少女の頬を撫でた。












なにもない。
まっさらな、……そう、彼が言っていた、

マサラ、タウン?

聞き覚えの無い地名に見たことの無い風景。
住んでいた場所とはまるで違う名前で…確かに違うが、何がどう違っていたかが思い出せない。

…あれ、私、どこに住んでたっけ?

「キミはトキワの森に倒れていての。偶然ワシが用があって通りがかっていなかったら、危なかったかもしれん」

どれだけ考え込んでいたのか、いつの間にか彼が戻ってきていたのにも気づかなかった。

手にしていたコップをサイドチェストに置いてから、オーキドは彼女の首の下あたりに手を差し入れ、抱き上げた。
それから座りやすいように背中とベッドの背もたれ部分との間に枕を立てて挿して、コップを差し出す。

「あ、りがとう、ございます…」

受け取ったはいいものの指先の感覚は鈍く、もし取っ手がなければすぐに落としてしまっていただろう。
それでもなんとか口をつけると――その間も、オーキド博士は手を貸してくれた――水は甘かった。こんなにも水とは美味しいものだったろうか。たまらずもう一口煽れば、しかし普通の味だった。けれどそれでも、不思議と美味しいと感じる。

「なんのなんの。――それで、キミの家はどこかの?親御さんが心配しているはずじゃ、電話を貸してあげるからすぐに連絡しなさい」
「家…親……」

電話。家電の番号は、…それとも、誰か、家族の電話番号でも、……
しかし途方にくれた表情を浮かべた少女に、オーキドは首を傾げた。

「何も…思い出せないんです。…私、どこに住んでいたんだろ。どうして倒れてたんだろ。お母さんは?お父さんは…、何も、分からなくて…」
「……どうしてトキワの森にいたか、もかな?」

目を閉じる。
しかし何も浮かばない。

「…はい。その、『トキワの森』自体、分かりません」
「――発見したとき、キミは泥だらけで倒れていた。一週間も前のことじゃ。そして…酷い傷を負っていた。背中にじゃ」

今は痛み止めの薬が効いているから感じないじゃろうが、と続けるオーキドに、目覚めた時から感じた倦怠感の理由を知る。
鈍っているのだ、感覚が。そして、きっと心も。

「酷い…?どのくらい」
「この町には病院が無くての。本来ならば大きな街の病院で入院する傷じゃったが、出血量からあまり移動させられなかったためにここで処置したのじゃ。……左脇腹に10センチほどの、深い切り傷じゃ」

幾分か逡巡した後、オーキドはありのままに傷の具合を説明した。
今は子供とはいえ女の体に傷が残るとなれば伝え方にも配慮がいるだろうが、動揺や不安で瞳を揺らしながらも己のことを尋ねる少女にその場限りの慰めを言うのは不誠実だと感じたのだ。

「医者は抜糸まで、あと2週間はかかると言っておった。それまでは安静にしてなさい。――自分のことを思い出すまで、ここに住むといいぞ。ワシも、警察にキミのことを聞いてみよう」

キミの家族が捜索願を出しとるだろうからの、と穏やかに微笑むオーキド博士に、そこまで迷惑をかけられない、と思いながらも、他に手が思いつかず、素直に頷く。

「…お世話になります、オーキド博士。よろしくお願いします」
「そんな気を遣う必要はないぞ。キミと同じ位の孫と、その姉がおっての、今は留学していて、寂しく思っておったんじゃ。いくらでも我侭を言っていい。それから……キミは、自分の名前も忘れてしまったかな」

名前?
私の名前、は…。

『――…ちゃん、学校行こ!』

「!!」

耳を過ぎった声。
誰の声だったろう?…それは思い出せない。けれど、

「……、です。。…誰かにそう呼ばれていた気がします」
「そうか。か、良い名じゃの。よろしくな、」






 

2009.06.19. up.
2012.02.22. 改

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