サトシら3人をポケモンセンター駅に送り届けたころには、空はすっかり夜の帳を降ろしていた。
別れを告げ、再びライモン中央駅に降り立ったは、住み込み部屋になだれ込んだ。靴を乱暴に脱ぎ、鞄を放り、ベッドにうつ伏せに寝転がった。
――…これで、半分は終わったんだ。
【幽霊列車事件を解決】、【ロケット団と戦う】、【主人公と接触】はクリアした。
これから先、最大のネックは【主人公をディアルガ・パルキアに接触させること】が帰還条件である場合であるが、方法はすでに考えている。サトシくんの夢をちょちょいと操作して夢オチにする――…手持ち(パートナー)のシャンデラは、さいみんじゅつを覚えないが、さいみんじゅつを覚えるポケモンは割合多いので、捕獲には苦労しない…――それ以外にない。
結論まで至った思考に、は、のろのろと身を起こした。
普段使っていない足や腰が痛んでしかたがなかったが、なんとか私服に着替えた。
それから、今まで使っていた警備員の制服と、今の今まで着ていた駅員の制服を丁寧に折りたたんで紙袋に入れた。袋の表面に、マジックで『ライモン中央駅備品室に返す品、意味が分からなければ落とし物案内所に届けること』と書き、フローリングの上に投げ置いた。
それから、……それから、もう一度ベッドに顔を埋めた。
少しだけ眠ったは、今日4度目となる、ライモン中央駅構内へ降りたものの、たどり着いた扉の前で立ち止まっていた。
“その後”が気になり、中央管理室を訪ねたが、緊急事態でない今、私服である自分がここに入れないことに、今更気付いたのである。
しかし、目の前にすると、気になってしかたがない。そして、何か、言葉を交わしたくてしかたがない。
仮に入らせてもらったって、出来ることは何もないとしても…――。
は少しだけ扉を開き、覗いた。――管理室は平常時と変わらぬ風であった。事後処理も終わったらしい。
「おい、ここで何やっとるんや」
「うひゃっ、」
そのとき、突然襟を引かれ、は後ろによろめいた。
しかし何かにぶつかり、よろめくだけに収まる。代わりに頭が痛い。
「……なんや、お前か。ロケット団とやり合うて、怪我しとらんやろな?」
「ごほっ…、おかげさまで」
今まさに発生したのはノーカウントにしろってか。
倒れなかったのは、クラウドにぶつかったからだった。顔を上げれば、クラウドが訝しげにを見下ろしていた。
…まぁ、関係者が、私服で、それも不審者のように覗き込んでいたら怪しがるのも当然である。
しかし、考えてみればグッド・タイミングだ。
はクラウドから離れて向き直り、社員証を差し出した。
「今までお世話になりました」
「はぁ?…そうか、『今日』までやったな。入らへんかったんはそのためか。変に律儀なやつやな」
幽霊列車事件が解決され、事後処理も終わった今、はもはや職員でいる理由がない。だから“これ”は今日の内に返さなければならなかったのだ。雇い主はノボリだが、社員証の返却程度、クラウドにお願いしても構わないだろう。
果たしてクラウドは受け取り、そして社員証を上着のポケットに押し込むと、が先ほどまで覗き込んでいた扉を開き、腕で押さえた。
――開いたそこに思わず目をやってしまったくらいには、の中に名残惜しさはある。
中央管理室の一段下がった中央部、
ATOシステムの前に二人のサブウェイマスターがいた。事件は終結したというのに、変わらず、いやこれまで以上に忙しそうにしている。彼らは、こちらに気付きそうにもない。
「挨拶くらい、しても罰当たらんぞ」
クラウドが、を見下ろして言う。その声はこの上なく優しかった。思わず縋りたくなるくらいには。
は俯き、しかしややあって首を振った。
「よろしく、お伝えください」
「…それでええのか?」
「……お忙しそうなので」
嘘だ。せめて、ありがとうくらい言いたい。この一週間にもならない短い間、楽しかったとも言いたい。また逢えたらいいのに、と、口に出せないけれど、心では言いたい。
しかし、素直にそう言えるほど、は可愛い人間ではなかった。
――そして、クラウドも、言葉そのままを受け取ってくれるような優しい人間ではなかった。
「ボスら、ちょっとええか!」
クラウドは、そんなの心中を幾分か察して、代わりに叫んだ。
驚愕した面持ちで見上げたの頭をがしがしと撫で…掻き回しながら。
その声は、中央管理室に、よく、響いた。
呼ばれた当人らだけでなく、数は少なくともいた、駅員らが皆振り返る程度には。
「な、な、何聞いとったんですか!?何してくれるんですか!?」
「なんも心配せんでええ。わいらのボスは、そないに薄情やない。――ほらな」
促されて見れば、二人が傾斜を上ってきていた。
近づき、その姿が更に鮮明になる。――顔色は、今朝ほどではないが、疲労の色が見える。騒動の中でつい忘れてしまっていたが、二人は、一番列車が走るより前からここで働いていたのだった。それも、何日も前から。
「何、クラウド。僕たち忙し…さん?」
「あ、その…、お忙しい時にすみません」
「いえ、自業自得の面もございますし…、さまが気になさることではございません」
クラウドの隣にいたに気付いてクダリが首を捻り、すかさずノボリがフォローする。
はと言えば、呆けた顔で二人を見ていたが、クラウドに肘で突かれ、要件を思い出した。
「…あの、短い間でしたが、お世話になりました」
「え?…あ、そ、そっか。さんは幽霊列車対策のために雇ったんだったね。でも、行く先が決まってないんだったら、スタンプラリーが終わった後、バトル専門の駅員として正式に働くってのはどうかな?ね、ノボリ兄さん」
そう言って、クダリがノボリを見やる。ノボリは「それも、我々としては、良いお話ですが…」と呟いた後、へと顔を近づけ、そして耳元で囁いた。
「――やはり、サトシさまでしたね」
「え、」
耳のこそばゆさに思わず身を引いたに、ノボリはふふ、と微笑み、そして更に近づいた。
再び、彼の灰色の髪がの頬を撫でる。
「サトシさまと会うこと、もしくは彼とこの事件を解決することが、還るための条件だったのでしょう?さまは特別サトシさまを気にかけていました。そうでなければ、いくら緊急事態とはいえ、当サブウェイと無関係な方々を巻き込むことなどしませんよ」
――あんな話、信じてくれたんだ。
今更ながらに、は、初めて会った時にが話したことや、何気なく尋ねたことをノボリが覚えており、そして今まで気に留めていたことを知る。
に、ノボリは身を離した。そして、声量を戻す。
「今後もここで働いてくださいまし、とこの方に言った所で無意味です。だからどうか、お元気でいってらっしゃいまし」
「……あんたが何知っとるかは分からんけどな…、ほなさよなら、でええんか?」
「いいわけがないでしょう。ですが、こればかりはどうにもならないことでございます。でしたら、わたくし共に出来るのは、餞(はなむけ)でしょう?クダリ、クラウド」
がその場所についた時、約束の時間まで、15分を切っていた。
場所はいつかノボリさんと戦った、可動式の特設ステージ(ギアステーション)。二人は気を使ってか、仕事が終わらないのか、時間までは管理室にいるそうだ。
餞代わりにとノボリが伝えたのは、『ギアステ駅員は、退職時にサブウェイマスターとの対戦が希望できる』という暗黙の決まりごと。それに対して、の希望した条件は、タッグバトル。対戦を希望する相手は当然ノボリ・クダリの両サブウェイマスターであった。
「それで、何でわしとなんや…。とっくに勤務時間過ぎとるで…」
「わたしとマルチ組んでくれる人なんて、クラウドさん以外にいると思うんですか?」
「自慢気に言うことかい」
バトルの形式は、2人vs2人で一人が一匹ずつ出し合うこととした。レベルは50フラット。
が出す…出せるポケモンはシャンデラ(ヤャンデラ)一匹である。対するサブウェイマスターの出すポケモンは同じくシャンデラとシビルドンであることが、クラウドによって確定されている。
クラウドはといえば、さすがというか、かなりの育成済みポケモンがボックスにいた。しかし特別使いたいポケモンというのはないらしいので、二人で決めることにする。
「……あ、この子(マッギョ)とかどうですか。相性もいいですし、わたし好きです」
「こいつか?あー…まぁ、相性はええけど、『じしん』は全範囲技やぞ」
「…ヤャンデラ、ふうせん持ちにしましょうか」
「まず他の選択肢を考え。こいつ(ママンボウ)は?じしゃく持ちシビルドンの10万ボルトでも一回は確実に耐えるしじゅうでんち持ちやから次に繋げられるで」
「なんという」
…しかしよかった。ちゃんと廃人じゃないか。これならいけそうだ。
妙な安心感を抱きながら、互いの技構成を確認し合う。
――そうしていれば15分などすぐに経ち、ギアステーションにサブウェイマスターが現れた。
それを見て、すでに反対側に立っていた達は、ちらりと互いを窺い、そして頷いた。
「ふぅ…。今日は一日がとても長かったね、ノボリ兄さん」
「そうですね、クダリ。しかし、一日を終わらせるためには、このバトルを終わらせることが必要でございます」
「すぐに終わらせてしまうのももったいないけれど…、時間が時間だからね。特急でいこう」
二人は顔を見合わせ、同時に頷くと、それから鏡のように動いた。
「シャンデラ、出発進行!」
「シビルドン、全速前進!」
現れたポケモンは、予想通りだ。
スーパーマルチトレインのノボリはシャンデラを使わないが、タッグバトルとなると別らしい。つまりは、シャンデラこそが彼のベストパートナーだということ。そしてこのバトル、レベル差はない。
はボールを握る手に力を込めた。
「…これ大きい声では言えないんですけど、今更『サブウェイマスターに負けたから還れない』なんてことになったら困るので、私も頑張りますけどクラウドさんも頑張ってくれると嬉しいです。――ヤャンデラ、お願い!」
「ヤャンwww」
「……そりゃ、大声で言うたらボスらも頑張るやろなぁ…。――ママンボウ、頼むで!」
審判はいない。スタートの合図は無く、四者がそれぞれタイミングを窺っている。
は考える。ここにいるポケモンの素早さ個体値はシャンデラが80、続いてママンボウが65でシビルドンが50と皆平均を下回る。
そしてノボリのシャンデラは努力値振りによりのヤャンデラよりも早くなっており、それはこだわりスカーフの持たせていない今、変わることがない。技を指示するタイミングがほとんど同じなら、発動するタイミングは前後しない。
「シャンデラ、ヤャンデラにサイコキネシスです!」
「ママンボウ、アクアジェット!」
しかし先制技の優先度は別。シャンデラがサイコキネシスを放つその前に、ママンボウのアクアジェットが決まる。
攻撃に努力値を振ってないママンボウとはいえ、弱点の水技攻撃をまともに食らったシャンデラはたまらず無防備になり、――隙が出来た。
「ヤャンデラ、シャドーボール!」
「させないよ!シビルドン、ほうでん!」
「シャンデラ、まもるです!」
「…っ!!」
シャンデラがまもるを発動させたその瞬間、シビルドンが放電をする。
目も眩むような眩い光がトレイン内に溢れた。咄嗟に腕で目を覆う。今やられたらッ、
「……徹夜明けの目にはつらいですね」
「兄さんごめん!!」
「トレーナーがまともに食らっててどうするんですか!――ヤャンデラ、もう一度シャドーボール!!」
「ヤャンwwwデラwww」
今度は確実にシャンデラに決まり、シャンデラが落ちる。
これで2対1。しかしシビルドンは無傷で、こちらのヤャンデラとママンボウは放電を食らっている。ヤャンデラは確定3発圏内のHPだが、ママンボウは確2まで持ち込まれている。じゅうでんちによって防御が上がっているとはいえ、電気技だったら次は厳しい。
戦っているポケモンには悪いが…――わくわくする。
は考える。それがトレーナーの仕事だからだ。
シビルドンの覚えている技は、これで見えたのがほうでんと10万ボルト。これ以上電気攻撃技を持っているとは考えられない。あってでんじはである。シビルドンがかえんほうしゃを持っているのをよく見るが、特性もらい火の可能性のあるヤャンデラや水タイプのママンボウ相手に放つとは思えない、
「このシビルドンって、」
「一昨日サブウェイスタンプラリーの挑戦者相手にようかいえきしとるの見たけどなぁ…。この場ではさすがに無いやろな。似たもんで、いえきしとる場合でもない」
「その間に二発いけますからね。じゃあ、ほうでん確定かなぁ」
「ちょっ、と!聞こえてるよ!!――シビルドン、10万ボルト!」
予想に反して繰り出されたシビルドンの10万ボルトは、過たずママンボウへと伸びる。クラウドの指示によってミラーコートが張られるが、けれどこれは耐えない。ママンボウが張ったミラーコートは10万ボルトを受けて割れ、ママンボウへと直撃した。ママンボウが落ちる。残り一対一。――しかしこれはすべて振り。
「ヤャンデラ、オーバーヒート!!」
「ヤャンwww」
10万ボルトを放った直後のシビルドンに、ほのおのジュエルを消費したヤャンデラが迫った。
が勝利を確信したのは、クダリが対ママンボウに10万ボルトを指示したその時。
あの状況でクダリが勝つには、放電によってシャンデラを麻痺状態にする必要があった。もしくは10万ボルトであっても急所に当てさえすれば、クダリの勝利は確実であった。冷静さを失わなければ、今頃はもしかして…。もちろん、これは想像にすぎない。
「…兄さん、ごめん。ぼくの戦略ミスだ」
「いいえ、あなたはよくやりましたよ。わたくしが足を引っ張ったばかりに」
「そんなことないよ!兄さんは…兄さんは、ぼくの」
「あの、それは後でしていただけます?」
ブラコン同士、どうせ落としどころなんて見つからないだろう。しかしポケモンの所為にする、なんて、少しも考えつかないところは好感が持てる。いつだって、どこの世界でだって、彼らはポケモンに優しいのだ。
は二人に歩み寄り、改めて頭を下げた。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「どうかお元気で。夜更かしはほどほどになさいませ」
「ふふ。ノボリさんが言いますか?」
「またいつか、今度はバトルサブウェイで戦えるかな。きみとのバトルは楽しかった」
「そ、れは…、」
クダリがなんでもないように言った言葉に、は返答に詰まった。
スタンプラリーが終わった後は、どうするつもりだったのか。バトルサブウェイに挑戦するつもりだったのか。
想像しかできないが、おそらく、挑戦しないだろうと思う。
この世界のは『サブウェイスタンプラリー』という機会を活かしてはじめて、サブウェイマスターと戦おうとしたくらいの臆病者だ。その強情さは、耳にタコが出来るほどスーパートレインに乗車するように勧められても一度として乗らないと同じレベルである。
それでも、バトルサブウェイに挑戦したい、と思わせられることがあれば、変わるかもしれない。現に、がそうであるように。
「…そのためには、更にバトルサブウェイを盛り上げていただきたいですね」
「サブウェイマスターさん、がんばり」
クラウドが二人の肩を叩く。
「また商業活動!?」
「またでございますか!?」
そんな二人と一人に、は笑った。
兄思いの弟。弟思いの兄。ポケモン思いの兄弟。
この世界の彼らも、悪くない。
「それまで、さようなら」
トレインではない、ギアステーションと名のつくその特設ステージの扉を、後ろ手で閉めた。
そして無人となった構内を足早に歩く。
は自分がどんな顔で別れを告げたのかが分からなかった。悲しいのか、嬉しいのか、それとも寂しいのか、色々な感情がの中に入り混じっていた。それでも、還りたいと思う気持ちは確かだった。
勝利の瞬間、自分が入れ替わったような、弾きだされたような、そんな気がした。身に覚えのある感覚だった。
その瞬間、あぁ、やっぱり【サブウェイマスターに勝つこと】が条件だったんだな、わたしは還るんだ、と、すとんと胸に落ちたのだ。
人通りのない通路ではふと立ち止まり、顔を上げる。
そして天井でなく、隣を浮く彼を見上げた。
「今まで、ありがと。こっちのわたしにもよろしくね」
「……www」
ヤャンデラが笑う。
そして、それで、全部が終わった。