「お邪魔しまーす」
「お、本当に帰ってきた」
ジムの自動ドアを潜ったとき、薄暗い通路の向こう側にアフロが顔を出した。
「うゎ!?」心臓が危険な速度で脈を刻む。アフロが近づいてきた。あ、赤い。赤いアフロだ。
…なんだ。よくよく見ると、知ってる人だった。
「オーバさんじゃないですか!びっくりしたー…、お久しぶりです」
「よ、邪魔してるぜ。元気そうだな!――しっかし、本当だったんだなー」
「な、何がですか?」
「ナギサジムに女の子が通ってるって聞いてよ。デンジに限ってとは思ったけど、とりあえず確かめにきたんだ。
でもだったら納得だぜ、デンジが迷惑掛けてるんだろ?あ、それ持つわ」
動揺してるうちに、スーパー『ナギサ』のビニール袋×2を奪われた。…おぉ、スマート!と思わず心の中で喝采をあげる。
良く気がつく人なんだなぁ。ただでさえ良かった彼の印象がうなぎ登りだ。
「あ、ありがとうございます。でも違いますよ、私が迷惑掛けたほうです」
「ふぅん?――なぁ、これ、もしかして晩飯の材料?」
「私、これくらいしか出来ませんから。あ、それ、台所までお願いします。デンジさんはジムの中ですか?」
「あぁ。せっかく会いに来てやったってのに、追い出されたんだぜ。つくづく友達甲斐のないやつだよ。あ、じゃあオレの分も頼んだら作ってくれるのか?」
「ふふ、もちろん。…あ、でも、世の中には等価交換という言葉があるんですよね。――四天王さん、お手伝いをお願いしてもいいですか?」
下ごしらえや明日分の準備をしたり、ポケモンたちに特製ポケモンフーズを用意したり。
なんだかんだやっている内にあっという間に時間は経ち、気づけば窓から見える空には星が輝きだしていた。
夜ごはんの時間だ。
「…まだいたのか」
「よぉデンジ、ご挨拶だな。終わったのか?」
「お疲れ様です、デンジさん。今呼びにいこうって話してたところなんですよ」
いつもの部屋でオーバとお茶を飲んでいると、デンジが顔を出した。
ちゃぶ台に並んだ三つ目の箸をみたのか、眉を寄せている。新たに登場したこの炎模様の箸セットは、オーバ用にと追加食材分と合わせて買いに走ったものだ。
サラダ、雷こんにゃく、それから前菜3点盛。
大食いだと自称するオーバが同席するということもあり、はじめからテーブルに用意している料理も、いつもより量も品数も多い。
「、こいつの分まで作らなくても良かったのに」
「何を言ってるんですか。オーバさん、色々と手伝ってくださったんですよ」
「は?…こいつが?」
ものすごい目で、デンジがオーバを見ている。オーバはオーバで誇らしげだ。あ、デンジがオーバを蹴った。
そういえば、とは思い返す。支度中、オーバはあまり料理はしないと言っていた。
しかしその割に包丁捌きは手馴れたものだった。きっと、普段やらないだけで器用なんだろう。デンジと一緒だ。
デンジも、あの機械弄りの器用さと細やかさを料理に転化させれば、『自分の好きな味』なんてきっと簡単に作り出せる。
…いや、もし仮にそうなったら、私はお役御免だ。料理の他に特技らしい特技ないし…。うわ、ちょっと切なくなってきた。
このネガティブ思考、いい加減直さないとなぁ。
急須と湯のみをお盆に移し、立ち上がる。そのとき、何故かデンジと目が合った。
「?」
「本当ですよ。とっても助かりました。さて、残りを持ってきますね」
手伝うよ、座ってろとデンジが言う。
オーバに対抗したんだろう。けれど嬉しい。同時に、なんて安上がりな女だ、と自分で呆れる。
「私一人で大丈夫です。それより頬っぺたのとこ、ちょっと煤ついてますよ?」
「おいおい『ナギサのスター』が台無しだぜ?デンジさんよー」
「塵になれアフロ」
「なぁ」
それは食後、食器を洗っていた時のことだった。
オーバと共同作業をするというレアな体験をし、手間暇かけた料理がおおむね好評であったこともあり、鼻歌交じりにお皿についた洗剤を流していると、背後から突然声が掛けられた。
「!」
驚きのあまり、手からお皿が滑っ、……たが、シンクに落ちる直前で掬い取る。
今度はしっかりとお皿を掴みながら首だけを後ろに回すと、オーバさんがにやにやと笑っていた。 ……聞かれた。鼻歌。確実に。
「え、と。どうしました?夜食が必要だったら、簡単に作りますけど」
「いいや、満腹。こんな美味いメシ食ったの久しぶりだ。ありがとな」
どういたしましてと返して、残りのお皿の泡を洗い流す。
いつも使っているフキンは男の料理と称してシンク周りを盛大に汚したオーバのフォローで全滅、現在鋭意乾燥中だ。
代わりにタオルを調理台へと敷いて、その上にお皿を置いていく。
「心配しなくても、これを洗い終わったらちゃんと帰りますよ?」
「あー、うん…」
オーバだけがここにいるということは、デンジは再びジムの中に戻ったのだろう。
デンジとは、そういうことにしている。夕飯が出来たらジムにいるデンジを呼び、夕飯が終われば、基本的にデンジはジムの修復に戻る。
片付けが済んだら、デンジに一声掛けてからポケモンセンターに帰る。
わざわざが一人になるのを待って彼がここに来たのは、デンジに聞かれたくない話をしようとしているのだろう。
最後のお皿を置いて、冷蔵庫を開く。麦茶のペットボトルが一本。朝が作って、入れたものだ。
洗ったばかりのコップを二つひっくり返して、注ぎ入れる。振り返ると、さっきまでの笑みを無くしたオーバがそこにいた。
一つを差し出す。
サンキュ、と彼はすぐに受け取るが、その表情は硬いままだ。
「はさ、すっげぇ良い子だよ。自分がしたことに責任感じて出来ることを精一杯しようとするなんて、普通できないよな。けどさ……やっぱ、違うと思うんだ」
「…ほんとストレートですね、オーバさんって。そういうとこ、ちょっと羨ましいです」
「回りくどいのは嫌いなんだよ。デンジはオレのこと常識知らずって言うし、まぁオレも一般人と違うって自分で思う時もあるけどさ、――それでも、付き合ってもないのにこうやって生活してるのはおかしいと思う」
「生活してないです。朝と夜、一緒にご飯食べてるだけです」
「それはそれでどうだよ。虚しくならないか?」
ごふっ! あまりな言い様に、は思わず咳き込んだ。
「ごほッ、…むっ、虚し……、せめて少しはオブラートに包んでくださいよ…。――第一、オーバさん知ってるじゃないですか。これは自己犠牲でもなんでもないんですよ?ジムを壊したのは私です。だから修理の間、お詫びに食事を作るのが、」
「デンジとの約束なんだろ。それはデンジから聞いたし、オレも今日身をもって体験した。でも、お前さ、その…」
ストレートな物言いが特徴のオーバの、珍しく言いよどむ姿に、あぁ、バレてる。と心の中で呟いた。
そうだよな、洞察力が無きゃ、四天王なんて出来ない。
でも、まだ自分でも形にしていない感情を、他人に言わせるわけにはいけない。
グラスの麦茶を一気に呷り、口を拭う。
「ええ、好きです」
ごふっ! 今度はオーバが咳き込んだ。
意趣返しは成功。転ばされたって、ただじゃあ起きてやらない。それくらいのプライドはにもある。うんと生意気そうに見えるように笑って、見上げた。
「デンジさんが好きです。だから虚しさなんて、これっぽっちもないです。どんな理由だって傍にいられるだけで、今は幸せです」
「…あのよ、オレが言うのも何だけど、もっと付き合いやすい男は五万といるだろ。アイツの相手は苦労するよ」
「そうかもしれません。でもオーバさん、『惚れたが負け』なんですよ」
負けちゃいました、なんて茶化して言ってはみるけれど。
自覚してしまったあの日、あの青い瞳に映った時が、ゲームセットだった。
けれど決定打を食らう前から勝敗は決まっていたのかもしれないとも思う。
好きなことには寝食を忘れるほど熱意を注ぐデンジの姿は、一度目指すものを失いかけたには、眩しくて眩しくて仕方ないのだ。夜虫が蛍光灯に集まるように、がデンジに惹かれるのは、当然だったのかもしれない。
「オーバさんが私を心配してくれているのは分かってます。嬉しいくらいです。でも、修理が終わるまでは、デンジさんに来るなと言われない限り、ここで料理を作るつもりです」
「…ま、が良いっていうなら、いいんだけどよ。ならさ、」
「ストップ。伝える気はありませんよ。それとこれとは話が別です」
「なんでだよ、好きなんだろ?アイツの考えていることなんてオレでも時々分からねぇ。けどよ、当たって砕けるとは限らないだろ?」
「……あー、ええと、無理、です。私には出来ません。――…あ、もうそろそろセンターが閉まっちゃいますね。今日は帰ります。また明日」
『これからもお友達でいましょうね』なんて、言えるわけないじゃないですか……。
逃げるように出たナギサジムを背に、ポケモンセンターへと空中歩道を歩く。
空はすっかりと暗くなり、星が輝いている。遠くには昼間過ごした海が黒々と広がっている。
本当は、センターの門限なんてずっと後だ。疲れたトレーナーを迎え入れられるように、傷ついたポケモンを迎え入れられるように、門戸は遅くまで開かれている。
どうしてすぐ嘘だと見抜かれるようなことを言ってしまったのだろう。ナギサ出身のオーバが、ナギサのポケモンセンターの受付時間を知らないわけがない。もっとマシな切り抜け方があっただろうに。
でも、オーバは何も言わなかった。気をつけて帰れよ、といつもの笑みで送りだしてくれた。
………。
進行方向を変え、ナギサタワーへと足を進める。
エレベーターに乗って、展望台に昇った。双眼鏡を覗き込む。……ライトアップされた、湖に浮かぶポケモンリーグが見えた。
また明日、か。明日からどうしよう。
オーバが今日のことをデンジに言うとは思わない。だから明日の朝と夜は、いつも通りジムに通って問題ないだろう。
でも、ヨスガジムに挑戦すれば、残りのジムはテンガン山の向こう側だ。一日では到底行き来できない。
だからといって北、ポケモンリーグには行っても仕方無い。
欠片でも勝てるイメージが湧くまでは、挑戦するだけ無駄だ。悪戯にポケモン達を傷つけても、得るものは無い。
別の双眼鏡を覗き込む。
こちらにはトバリ方向の景色が広がっている。あの一等派手に光っているのは、ゲームセンターだろうか。
トバリビル、デパートが煌々とライトアップされているが、中心街を少し離れれば途端に暗闇の中。あぁ、そうだ。トバリは山を切り崩して出来た街だと以前見た地図に書いてあった。あの暗闇は、森や岩壁なのだろう。
そういえば、昨日214番道路を通ってトバリシティに行くとき、東側に細い道があったような気がする。以前通った時には無かったはずの。
遠回りにはなるが、明日はトバリシティ経由でヨスガシティに行ってみよう。その途中で、少し入ってみればいい。少し入って、何も無ければ戻ればいいのだから。
を出入り口まで見送り、部屋へと戻ってきたオーバは、ちゃぶ台に片肘をつけ黙りこくるデンジを見つけ口を開け、閉じた。
大方、ゴーグルを持ち忘れたとかで部屋に戻ってきたときに、偶然居合わせたのだろう。
ベッドに寄りかかって座り、改めて口を開く。
「聞いてたんだな」
「……」
ちゃぶ台も、観葉植物も、カーペットも、前来たときには無かったものだ。
「あと何日で改造が終わるんだよ。2日だろ。いつまでも先延ばしには出来ない。は言わないつもりらしいけど、ちゃんと答え出さないとお前にとってもにとっても、」
「……分かってるさ」
「分かってねぇよ!言っとくけど、あんな良い子そうそういねぇんだからな!第一誰のおかげで今のお前がいるんだっての、がお前を目覚めさせてくれんだろ、分かってんだったら大切にしろよ!胃袋掴まれたのを気にしてるんだったらお門違いだぜ、女がみんな料理できると思ったら大間違いだ。うちのチャンピオン知ってるだろ、レトルトでも爆発させる女だ、」
「…お前さ、空気読む練習しろよ。KYは死語なんだぜ。それにお前にわざわざ言われなくても、はじめから答えは出すつもりだったんだよ」
「デンジ、お前…!!」
「分かったら帰れ。その暑苦しい顔、オレじゃなくて弟に見せろよ。――…一人にさせてくれ」
2011.08.24. 改