「マスター、軽く作ってくれ。あとこの子にも」
「デンジ。一週間ぶりだな、改造は終わったのか。――…おや、その子は?お前がアイツ以外を連れてくるなんて、初めてじゃないか?」
「ん、まぁな。奥借りるよ」
「あいよ」
なんとも渋めのマスターの登場に思わず瞬きを忘れて見つめていると、会釈された。慌てて頭を下げる。…なんだかちょっと、恥ずかしい。
「こっち」顔を上げれば、すでに一番奥のテーブルに彼は座っていて、こちらを見ていた。
ごめんなさいと軽く頭を下げて、反対側の椅子に腰掛ける。それから、こっそりと店内を見渡した。
連れられた先は、喫茶店だった。
レトロ調の内装で、焙煎の香りと相まって不思議な雰囲気が流れている。
お客さんは昼時にも関わらず、多くはない。それもコーヒー片手に本を読んだり新聞を読んだりと、穏やかに、思い思いに過ごしている。マスターの醸し出す雰囲気故の客層なのだろう。
あまり眺めていると、さっきの二の舞になる。
は自然に目をそらし、今度は水の入ったグラスを持ち上げ、口をつけた。それから少しだけ目を動かし、正面に座る男を見上げた。
デンジは薄く口を閉じ、何を考えているのか読み取れない瞳で手元のグラスを眺めている。……なんだか、会話できる雰囲気じゃない。私のコミュニケーションスキルじゃ無理。絶対無理。
「お待ちどうさま」
この空気を引き裂いたのは、やっぱりというか、マスターだった。
まず置かれたのはサンドイッチの山。
それから喫茶店伝統メニュー・ナポリタンとオムライス。それからサラダ。取り分け用のお皿がタワーを作り、最後に泡立ち十分のカプチーノ二つ。何故に主食が3つ…。それにご飯の盛られたお皿が大きすぎて、カプチーノが小さく見える。
……いやいやいや。とっても美味しそうだけれど、どう考えても二人分じゃあない。
思わずマスターの顔とお皿の数々を交互に見る。マスターにはここに何人座っているように見えているのだろうか。それともマスターもここで一緒に食べるのだろうか。
「デンジ、足りなかったら言ってくれ」
「あぁ」
「お嬢さんもな」
「は、はい。いただきます」
やっぱ二人分ですか!!?
ごくりと唾を飲み込んで、覚悟を決める。まずは湯気の立つこんもりナポリタンにフォークを絡ませた。
「あ、美味しい。」
「だろ?」
口に入れた瞬間、ケチャップの酸味と玉ねぎの甘さが口いっぱいに広がった。ウインナー、ピーマン、チーズ……具材の風味がバランス良くまとまっているナポリタンは、どこか懐かしくて、美味しい。
思わず呟くと、デンジがちょっとだけ自慢げに口角を上げた。
バトルの時以外あまり表情が動かない人かと思っていたが、そうではないらしい。よくよく見ると、分かりづらいけどちゃんと顔に出てる。
……うん、美味しい。美味しいけど。
ナギサの人にとってはこれが標準サイズなのだろうか?それとも彼が良く食べる方なのだろうか。見た目細いのに。
でもあの右腕は余裕で私一人引き上げちゃったんだよなぁ…。うーん、ダイエット法があるなら教えてほしい。
思わずフォークを止めて、もぐもぐ食べるデンジをこっそり眺める。
庶民食オムライスを食べてるだけなのに絵になるな。これだからイケメンは。爆発しろ。次はサンドイッチですか。あー、キュウリになりたい。……おっと、目が合った。ふしだらな妄想はもちろん頭の中で留めていたが、さすがに視線には気づかれたらしい。
「食べないのか?」
「食べ…てます!ただ、デンジさんっていつもこの量食べてるんですか?ちょっとびっくりしちゃって」
「は?…あぁ。いつもはもう少し少ないな。最近まともに食べてなかったし、食べ貯めないと。――そうだ。隠してたつもりはないけど、言っておく」
汚れてもいない口をおしぼりで拭いて、デンジが言う。
いつの間にか、お皿の上はサンドイッチだけになっていた。7割は間違いなくデンジの胃袋の中だ。
「一週間前のこと、オーバから聞いてるよ」
「……。そう、ですか」
いつか来るだろうなと思っていたのに、想像していた以上に声が震えた。…いけない、明るくしないと。弱いくせに重い女なんて、どうしようもない。
乾いた口内をカプチーノで潤して、一息つく。明るくかるーく。…おし、いける。顔を上げて、デンジの鼻辺りで焦点を結ぶ。
「力量不足でした。もー緊張しっぱなしで、周りが全然見えなくて。気づいたら負けちゃってました。完敗です。でもシロナさん、ホントに強くて格好良かったんですよ。みんなが憧れるのもよく分かりました。ファンクラブ、入ろうかと思っちゃいましたもん」
「あぁ、あの人は強い。――結果をどうこう言うつもりは無いさ。オレはバトルを実際には見てないし、アイツの話は一々大げさだから信用できないしな。…本当は少し心配してたんだ。だからもう一度キミとバトルできて良かった」
「え?どういう意味ですか?」
「オレの認めたトレーナーに、たった一度の負けで燃え尽きてもらっては困るだろ?だから昨日のバトルでキミの痺れる魂、改めて見せてもらって安心した」
うそ。昨日の私が、そんなバトルを出来たなんて思えない。
たった一度の敗北で『自分』さえ分からなくなった私が、兄や、彼のようなきらきらしたものを持っているわけないのに。
「……昨日のこと、もう一度聞かせてもらえますか?」
「あぁ。昼過ぎのことだ。キミはナギサジムに来た。それで、完成したばかりの仕掛けを解いて、オレにバトルを申し込んだ。ここまでは?」
「はい、覚えてます」
「キミは大技ばかりを命じていた。100パーセント力押しだ。キミの気迫につられてか、キミのポケモンは見た目は派手だが、当たらない技を連発した。この辺はビデオを見たほうが分かりやすいな」
そういう見た目だけで中身がない技は、彼のポケモンたちは飽きるほど経験してるだろう。避けるのは簡単だったに違いない。
あの地割れや隆起(ストーンエッジだろうか?)も、おそらく決定打にならなかった。
「戦略がなかった分、純粋に、キミの思いが伝わってきた。そうしてキミが5匹目、オレが2匹目のポケモンを出した時、キミが倒れた。…そういえば、頭打ってなかったか?さすがにオレのところまでは聞こえなかったけど、凄い音がビデオに入ってた」
「それでたんこぶ…。今は痛くないし、意識もはっきりしてますし、大丈夫です。――それで、そのまま?」
「あぁ。放っておくわけにもいかないし、だからといってあまり揺らすわけにもいかないだろ。一番近いベッドがあそこだったから、運んだんだ」
「そんなことが…。デンジさん、本当にお世話になりました。それと、ビデオを貸していただけますか?」
「もちろん。ま、初心者に毛が生えたレベルだったけれど、ひたむきで熱いバトルだったよ。オレはああいうの、嫌いじゃない」
それからは食事を再開し、おしゃべりに花を咲かせた。
四天王とのバトルはどうだったとか、チャンピオンロードが迷路のようで迷ったとか。話すネタは尽きなかった。
デンジの話もまた面白く、興味深かった。
最強のジムリーダーと囁かれる彼でも、『ジムリーダーは負けるのが仕事、みたいなところがある』と考えているとか。
それにトレーナーはバッチをもらえたらそのジムとは関わりがなくなったと考えるけれど、ジムリーダーはそれだけじゃない。ジムの運営とは別に、街を護るのも仕事だ。それは、とても大変なことだろう。
だからというわけではないだろうけれど、デンジは一時期四天王に挑戦しようとしたらしい。でも、ポケモンリーグは改造禁止だと聞いてやめたそうだ。なんだか彼らしい。実力は十分なのに。
マスターに2度目のおかわりをお願いしたところでふと腕時計に目を向けると、ここに来て3時間以上が経っていた。
気づけば窓から見える真っ赤な太陽が、かなり低いところにいる。あまり遅いとポケモンセンターの宿泊施設が満室になるかもしれない。だからといってホテルはもったいない。
もうそろそろ、と告げれば、外の様子にデンジも気づいたようだった。
しかし、ここにきて困ったことが起きた。「奢らせてください」と何度言っても、デンジが首を縦に振ってくれないのだった。「オレが払う」?いやいや、目的は始めから、お詫びを兼ねて食事を奢ることだったのだ。こっちだって簡単には譲れない。こちとら一週間前までは無敗だったのだ、財布の中身は寂しくない。
――…結局、ご飯代は彼が、お茶代は私が払うことになった。
デンジ一人だったら押しの強さでいけたかも知れなかったが、まさか、マスターはともかく他のお客さんにまで駄目出しされるとは思わなかったのである。
「俺たちの街のジムリーダーが女の子に奢られるなんて悲しくていけねぇよ」なんておじさん達に口々に言われたら、さすがの私だって意地を貫けない。
「はふー、ごちそうさまでした」
「これからどうするんだ?」
「まだ考えてないです。チャンピオンになるって言って飛び出したんで、帰りづらくて。しばらくはどこかの街を拠点にして、武者修行でもします。デンジさんは?」
「オレは、…そうだな、もっとジムを改造して、次の挑戦者を待とうかな。天井に穴が開いただろ?あれを見てたら、良いアイディアが浮かんだんだ」
「そうなんですか!開けた当人が言うのもなんですけど、楽しみです。完成したら見に来てもいいですか?」
「いいよ。でも今度は壊さないでくれ」
「ちょっと、誤解してませんか?私だって、あんなの初めてです」
喫茶店を出て、ソーラーパネルの道路を歩く。
向こう側に見えるT字路を右に曲がればナギサジム、左に曲がればポケモンセンターだ。
今夜はポケモンセンターに宿泊するつもりだが、その前にナギサジムへ寄って、ビデオを貸してもらう約束だ。ナギサジムで回復中のポケモンたちも、そろそろ目を覚ましている頃だろう。
センターではビデオデッキの貸し出しがされている。デンジには返すのはいつでもいいと言われたし、ダビングしたから返さなくてもいいとも言われている。落ち着いてから見るのも良い。まだ見るのは怖い。
ナギサジムに着いた。
外出する時に鍵を掛けた自動ドアを、デンジが開けるのを待つ。自動ドアの横には『現在改装中につき閉鎖しています』の看板。よく使われているのか、少々ペンキが掠れている箇所がある。
今回の閉鎖は、100パーセント私が原因だ。このまま、何もせずに、お世話になりましたではさようなら、で本当にいいのだろうか。
カチャ、と音がした。顔を戻すとドアはすでに開いていて、先に入ったデンジが「入らないのか?」と首をかしげている。
「デンジさん」
「なに?」
「そういえば、うっかり流したんですけど、食べ貯めるってなんですか」
「…そんなこと、言ったかな」
「はい、確実に。マスター『一週間ぶりだ』って言ってましたね。私が昨日来る前、一週間かけて改造やったんですか?それこそ、寝食を惜しんで?」
「まぁ…、否定しないよ」
「その間、何食べてたんですか?」
「………」
二人の間を流れる重い空気。
「……、お邪魔します!冷蔵庫あるって言ってましたよね、どこですか!?」
「……キミのいた部屋」
「なるほど。――…ってなんですかこれぇえええ!?」
「信じられませんっ!魚肉ソーセージとビールだけでどう生活してるんですか!?鋼鉄島にいたやまおとこさんの方がよっぽどマシな食生活してますよ!?」
「腹持ちいいぜ?それに食べたい時に食べられる」
「言語道断です。いいですか、ソーセージだけじゃビタミンA・Cは取れないんですよ!?食物繊維もゼロです!」
「…詳しいね」
「伊達に一人旅してませんよ、何をするにもカラダが資本です」
深くため息をつく。
「よく、分かりました。デンジさん、あなたの改造が終わるまで、これからは私がご飯を作らせていただきます」
「……は?」
「デンジさんが料理をしたことがないのは、この一度も使った形跡のない台所とお皿を見れば分かります。でも道具はある程度私が持ってるんで大丈夫です。じゃあ、スーパーに行ってきますね」
「ちょ、ちょっと待て」
「待ちません。タイムセールが始まります。行ってきます」
こうして、私とデンジさんの奇妙な生活は、かなり強引に始まったのだった。