「デンジさん、わたし、」
これだけの言葉を言うだけで、喉がカラカラに渇いた。
あぁ、そうだ。オーバさんに言う時だって、コップ一杯分のお茶を一気飲みしたんだっけ。
今目の前にあるのはデンジさんが淹れてくれた暖かいお茶。一気飲みしたら火傷する。
…いや、今更、かな。頭も身体も、とっくに熱中症になったみたいに熱を持っている。
はちゃぶ台の下で拳を握る。
いくら覚悟を決めたといっても、緊張はするのだ。
「デンジさん、わたし、デンジさんのことが好きです」
どんな状況でも確実に伝えることに慣れた発声は、聞き流させない力があった。淀みなくペンを走らせる彼を止まらせるには十分だった。
が口を閉じてから、デンジは握っていたペンをちゃぶ台の上に置いた。
けれど瞳は伏せられたままで、書類の上を彷徨っている。
ペンを置く音にはぴく、と肩を震わせた。咄嗟に俯こうとして、けれど根性で耐える。
後悔はしていない、けれど無言の彼が正直怖かった。一見ぶっきらぼうで、けれどその実身内には甘くて、何を考えているか分かりづらい彼が、
「……あぁ、知ってる」
心地よいテノールが響いて、ぼんやりとデンジを眺めていたは慌てて焦点を結んだ。
見れば、デンジはとうに顔を上げていた。
何を考えているのか読み取れない青い瞳に正面からぶつかる。
髪も瞳も平凡な色しか持っていない自分には向き合うことも憚られるような色彩だと改めて思……今は、そんな場合じゃないか。
「知って…?」
「は分かりやすい。話をしているとき、海岸でバトルしたとき、ここでメシ食うとき、」
「わ、分かってたんですか!?」
だったらそう早く言ってくれれば二重に恥ずかしい思いをすることもなかったのに。
自覚していた以上に日常の端々で好意を示していたことを諭され、さっと顔を赤らめながらも非難の目を向けるに、デンジは小さく笑って立ち上がった。
どこへ、と赤ら顔のまま無言で訴える彼女の頭をすれ違いざまにかき混ぜて、ドアへと向かう。
「熱中症は室内でも起こるんだぜ」
なんですかそれ。
デンジに乱された髪を整えながら、は呟いた。
なんだか彼に触られた場所が特に熱いような気がする。
去り際のセリフの良し悪しの判断を求められたら、正直格好良くはないと言うだろう。
本屋で平積みされた少女マンガに出てくる幼いヒーローの方が、よっぽど格好良いセリフを言っている。
けれどデンジさんが格好良くないかっていうとそんじょそこらのヒーローより間違いなく格好良い。
自称か他称かナギサのスターと銘打っているだけあって、ヒーローというよりスターの方が彼の性質には合っているのかもしれないけれど、私にとっては命を救ってもらったヒーローで……
「…って、そうじゃない」
レントラーの欠伸の声に、我に返る。
一人でもんもんと考えていても脱線するばかりだ。
デンジさんはどこに行ったのだろう。
熱中症が云々と言っていたから、冷たいものでも用意してくれているのだろうか。
以前は炎天下でジムを改造するデンジさんやジムトレーナーさんの分の麦茶は用意したものだ。
この一週間の台所事情は分からないが、ナズナさんやええと…ショウマさんだったら、気を利かせてストックしていそうだ。
だったら、
「…そこにも、冷蔵庫があるのにね」
台所にあるそれなりに大きな冷蔵庫。それからデンジさんが魚肉ソーセージとビールで埋めていたこの部屋の小さな冷蔵庫。
デンジさんの生活空間であるこの部屋の、冷蔵庫に何も入れていないということはないだろうに。
現に、いつから置いてあるかはしらないけれど、冷蔵庫の上にコップが二つ並んでいる。
わざわざ人の一世一代の告白を流してまで部屋を出て行かなくても……、
「……流されたっ!?」
慌てて立ち上がる。
まさかそんな結末だなんて考えもしなかった。
彼と自分の性格を考えれば燃え上がるような!とか一夏の!アバンチュール!とかそんな波乱は期待すらしてなかったけれど、返事くらいは返ってくるものだと思っていた。
寝ぼけているのかゆらゆら左右に揺れるレントラーの尻尾を避けつつ、ドアに走る。
「デ、」
――…あぁ、このドアって内開きでしたよね。
蹲りながらは思った。
脚色抜きに目から星が出た。今なら少女マンガの主人公みたいな輝きしているかもしれない。目の大きさだけはどうにもならないけど。
今日の発見、ドアの角って超痛い。
「……大丈夫か?」
「大丈夫です……」
とりあえずちゃぶ台まで這って戻る。片手しか動かせないから、結構つらい。
音から判断するに、デンジさんはドアのところでサンダルを脱いで、歩いて進んだようだった。……私もね、それなりに生きた人間ですからね、そうしたかったですよ。視界がぐるぐる回らなかったらですけど。目、チカチカするし、開かないし。
初めて25メートル泳に挑戦した小学生のようにぷるぷると手を伸ばしながら進むと、やっとちゃぶ台に触れられた。
いつも座るのはここでなく90度ずれたところで、窓に垂直に座る。当然、デンジさんは円の反対側に座る。そうすればどっちかが眩しかったり暗かったりすることもない。
でも、ごめんなさい。もう進めない。デンジさん、あなたは歩けるのだから今だけでも窓側行ってくれますよね……。
「だいじょうぶですー…」
手のひらで額を押さえながら、はうわ言のようにもう一度繰り返した。瞼は閉じたままだ。
今更だが、すぐそこにデンジさんがいるのだからドアに突っ込んだらこうなるかもしれないことは少し考えれば分かることだった。
冷静に考えられなかった自分のミスだ。醜態に関してはもうなんの言い逃れもできない。これで今日何度『恥』を重ね塗りしたのだろう。
ダサいにも程がある…と額を押さえながらが自虐していると、どこかでカチャンとガラスが軽くぶつかった音がした。デンジさんが持ってきたものをちゃぶ台に置いたのだろう。
「顔上げて」
「は、……ぅわ!?」
思いのほか近い場所で響いた声に、が顔を上げて目を開けると、横でデンジが覗き込むように腰を下ろしていた。
思わず近っ!と心の中で絶叫しながら身を捩ると、顎を掬い上げられる。引っ張られて、腰が浮いた。
「――…っ!」
「赤くなってはいるが、血は出てない。心配しなくてもすぐに治るさ」
「…………」
検討違いの言葉に、は脱力する。
デンジが手を下ろしたために力が抜けるまま腰を引けば、隙間ができた。そのままじりじりとお尻で後退して、人一人入れるくらいのスペースを作る。
十分なパーソナルスペースが出来たところでふ、と息を吐く。
…いや、デンジさんは何一つ間違ってないんですけれどねっ。
勝手に期待した私めが悪うございます。ですがね、この状況で期待しないほうが、……あぁもう!
一人百面相するを肩肘ついて眺めていたデンジは、合点がいったとばかりに目を細めて、
「……キスされるかと思った?」
にや、と笑った。
「……、デンジさんのばかぁ!!」
居たたまれなくなって、再び立ち上がって、
反射的にか伸ばされたデンジさんの手を掻い潜って、すれ違ったジムトレーナーさん(仮)の視線も振り切って、
不肖、本日ナギサジムから逃亡いたしました。