失踪から6日、依然有力な情報は入ってこない。
ホウエンから来た二人は、今はミオシティにいるという。
明日には警察や協会による捜索が始まる。しかしそうはいっても、手をこまねいているわけにはいかなかった。
なにやら廊下が騒がしい。デンジはペンを動かしていた手を止め、顔を上げた。
「ちょっと見てきますね」
デスクの隣で書類をチェックしていたショウマが、扉を開ける。その瞬間、隙間から黄色い弾丸が飛び込んできた。
「チマちゃん!」
ついで慌てた声が扉の向こうから響く。咄嗟に伸ばされたショウマの手を掻い潜って、黄色い弾丸はデンジのデスクの向こう側まで侵入を果たし、デンジの膝の上へと飛び乗った。
「デンジ!」
「チマリ、今日も元気だな」
ペンを置いて、抱えなおしてやる。きゃー、と楽しそうな声があがった。
黄色いのは、いつもの着ぐるみ。大きな目をキラキラ輝かせながら、チマリはデンジは見上げた。
「あのね、今日ね、」
「ごめんなさい、デンジさん。――チマちゃん、デンジさんは今お仕事中なのよ。あっちにお菓子があるから、」
ナズナが申し訳なさそうに顔を出す。
さっきの騒ぎはチマリがデンジの部屋に入ろうとするのを、ナズナが抑えていたのだろう。けれどショウマが扉を開けてしまったために、チマリはこうして膝の上に。
咎めるようなナズナの声色に、チマリはデンジに一層しがみつきながら振り返った。
「えー、最近デンジったらお仕事ばっかー。ショウマもナズナも、ろーどーきじゅんほういはんで訴えられちゃうよ?」
「チマリ、難しい言葉知ってるな。でもそれには訴える人がいないと駄目なんだよ。オレが過労死したら、チマリが代わりに訴えてくれるか?」
「うん、いいよ」
えへへ、とチマリが満面の笑みを浮かべる。『労働基準法』もデンジの言う『過労死』も、チマリにはよく分からない。けれどデンジから頼まれごとをされるのは嬉しい。チマリにとってはそれで十分だった。
そんなチマリを慈しむように目を細めながら、デンジはチマリの額に張り付いた髪を払ってやる。
ここまで走ってきたのか、よく見れば額や鼻の頭に汗が浮かんでいる。
タオルは、とデスクの上に目をやると、ショウマが察したようにタオルを差し出した。よく出来た部下だ。受け取って、顔を拭ってやる。むぐぅとタオルの中からくぐもった声が小さく響いた。
さてもう片方はといえば、床に膝をつき、ドアに縋り付くようにして放心している。デンジと目が合うと、ナズナは震える声で叫んだ。
「そんなっ、デンジさん、あたし達のことそんな風に思ってたんですか!?」
「冗談だよ」
「じょうだんだよー。ナズナ、そこ靴で歩くところだから汚いよ?」
「ナズナ、キミは真面目すぎる。普段から余裕を持って…――まぁ、ちょうど良い時間だし、休憩にしましょうか」
ナズナとショウマが部屋を出ていってから、デンジはチマリをしがみつかせたまま歩き、応接セットのソファーに座った。
チマリがテーブルを飛び越えて向かいのソファーに座る。ナズナが見ていたらまた叫んでいただろう。
を捜索するためといえども、ジム業に影響を与えるわけにはいかない。
そこでデンジは事務に関わっていないジムトレーナーに事情を知らせ、簡単にジムを開けられないデンジに代わり、捜索させている。
ここ最近はマイクに常駐するトレーナー達やトバリシティの住人への聞き込み、チマリには214番道路の調査を任せている。今日は一日フリーなはずのチマリがここにいるということは、目ぼしい情報があったということだ。
「それで、何があったんだ?」
「ええとね、今日もね、あの道に行ったの。そしたらね、なんか森の奥に行けそうな気がしたんだ、」
「あの深い森に?」
「うん。なんでか分からないんだけど、行ける!って思ったんだ。デンジが貸してくれたレントラーがいたから、迷ったりしないし、とりあえず行ってみたの」
……、こんな時じゃ無かったら、叱っていただろう。
善良なトレーナーが多くいて、迷いようがない道だからこそチマリを派遣した。万が一のことを考えて、レントラーにもついていかせた。
危険な場所に行けとは一言も言ってない。それなのにわざわざ自分から怪しい場所に行くとは。
だが、チマリの情報は、今までに無かったもの。手がかりかもしれない。
デンジは眉間を手で押さえながら、ひとまず口を閉じた。
「そしたらね、森の向こうに草むらがあって、川は無かったけど水の音がしてたの。野生のポケモンがいたよ。強かった。デンジのレントラーの相手じゃなかったけど」
「あぁ、それで?」
「岩の壁があって、でもあたしのピカチュウやレントラーじゃのぼれないから、そこで帰ってきたの。ね、デンジ、あたしすごい発見したでしょ?」
「あぁ。チマリ、―――…」
キラキラと目を輝かせるチマリの頭に手を伸ばす。
そのとき、デスクの上に置いたままだった携帯が鳴った。チマリの柔らかな髪を軽く撫でてから、立ち上がって取る。画面に出た名前を見ることなく、デンジは通話ボタンを押した。
「…はい、デンジです」
『ユウキです。今ミオの図書館にいてさ、――変なこと言うけど、シンオウって本当に3つしか湖がないの?』
「は?」
『オレにはよく分からないんだけど、湖は4つあるんじゃないかってダイゴさんが言っててさ。3つの湖にはそれぞれ伝説ポケモンの伝承が残ってる。ただ神話に出てくる『きれいにした骨を送るいずみ』に当てはまる湖が無いんだって。意味分かる?』
「…いや、」
『だよね。トバリの神話でポケモンをやたらめったら襲って捨てた人間の話があったから、関連があるかもって思ったんだ。ありがと、また何か分かったら電話する。じゃあ、』
4つ目の湖、骨を送るいずみ、川がないのに水の音がする草むら、
「関係…無いわけがないよな。――…チマリ、ありがとう。おまえのおかげで前に進めそうだ」
デンジがチマリの頭を撫でながらそう言うと、チマリは驚いたようにソファーの上に立ち上がり、再びテーブルを飛び越えた。
そしてデンジの胸に飛び込み、上着を何度も何度も引っ張って問いただした。
「ほんと?ねえちゃん、帰ってくる?」
「帰ってくるよ」
「ぜったい?ぜったいのぜったい?」
「絶対。ここに帰ってくるよ」
興奮するチマリを宥めるように、デンジはポンポンとチマリの背を叩く。
しばらくすると落ち着いたのか、チマリは大人しくソファーに座りなおして、足を揺らした。
「良かったぁー…。良かったねぇ、デンジ」
「あぁ、そうだな。――そうだ、チマリ、レントラーを返してくれ」
「うん。レントラー、バトルしたからちょっと疲れてるかも。気をつけてね」
「あれ、お出かけですか?」
デンジがジャケットを持ちあげた時、ドアの隙間からナズナが顔を出し、首をかしげた。
「紅茶とクッキー、持ってきましたけど」、それからショウマが電話を片手に入り、持ち上げてみせる。
「1つ目の部屋で待機しているユリエから連絡が入りました。かなり強い挑戦者が来たそうですよ。最後までいってしまうかもしれないそうです」
「今はトヨフミが相手をしています。次はチマリよ」
「はーい、いってきます。久しぶりにしびれるバトルが出来そうだね」
ソファーから飛び降りて、このこがあたしのきりふだ!などといいながら、チマリが駆けていく。
明らかにデンジのセリフを捩っている。そんなチマリを見届けて、三人は揃って苦笑した。
モンスターボールが、デスクの上で揺れている。
しかし二人が来たからには仕事を再開する他無い。レントラーには我慢してもらうしかない。仕事が全て終わるまで、自分が我慢できるとも思えないが。我慢我慢がまんがま、
「――…デンジさん、」
「なに、」
あと一歩で諦められそうだったのに。
出足を挫かれたデンジは、半眼で二人を見る。今、仕事振りに口を出されたなら、ストライキを決行する。そう決意してデンジは続きを促す。
だが二人はデンジが考えていたものとまるで逆のことを口にした。
「事情はよく分かりませんが、あとは僕たちに任せてください」
「仕事は大丈夫です。あとはあたしたちに任せて、行ってください」
「ジムトレーナー全精力を挙げて、デンジさんに辿り着かないように頑張りますから」、だから気にせずに行けと笑う二人に、デンジはジャケットを持ち直した。
「…ほんと、おまえら、二人そろってエリートなのに馬鹿だよな」
「えぇ!?」「ちょっ…ひどい!」
「ジムトレーナーになるにしても、他のジムリーダーを選べば、もっと楽だっただろうに。馬鹿だよな」
二人の顔をじっと見てから、デンジは立ち上がった。
レントラーの入ったモンスターボールを装着する。それからポケットを弄って、何かを取りだした。
「これ、任せたぜ」
投げる。
パシ、と軽い音を立てて、それはショウマの手の中に収まった。
ナズナが傍らで覗き込むなか、ショウマは手のひらを開く。
そこにはシルベの灯台をモチーフにした、薄い金属の板が入っていた。よく磨かれたそれは、光を受けてキラリと輝いた。
「ビーコンバッジ…」
「…いいんですか?」
ジムバッチはトレーナーの実力を表すだけでなく、それだけで身分証明にもなる貴重なもの。
譲るべきトレーナーが現れるまではジムリーダーが保管し、ジムトレーナーだろうが簡単に他人に預けてはならないものだ。そんなビーコンバッチを手に握り、二人が訊ねる。
残りのホルダーに回復機で休ませていたモンスターボールを装着しながら、デンジは口角をあげた。何を今更。聞き返されなくても、とうの昔に二人のことは信頼している。
「もしその挑戦者がみんなが認めるようなトレーナーだったら渡してくれ。それから、そのトレーナーに謝っておいてほしい。……あぁ、それともし良ければバッジとは別に対戦を受ける、とも伝えてくれ」
「――…分かりました。「お気をつけて」」
「ふたりとも、出ないな…」
携帯の画面には『ツワブキダイゴ』の文字。
森に入る前に連絡を入れようと電話をかけてみたが、二人とも反応がない。
図書館にいるからと電源を切っているのだろうか。しかし、先ほどユウキから電話がかかってきたように、仮にマナーモードにしていたとしても、この非常事態に電源を切っているとも思えないのだが。
「……。レントラー、案内してくれ」
迷っている時間はない。
失踪から6日。陽はまだ高い位置にあるが、これから先何があるのかは分からないのだから。
214番道路。道を反れて、森の中へ。
木が鬱蒼と茂り、晴れ渡った昼間であるにも関わらず薄暗く、じめじめしている。どこか遠巻きに虫や鳥の鳴き声が響き、一層物悲しい。
デンジの靴の下で枝が音を立てる。
先を行くレントラーの四肢の下からも、同じような音がした。
「チマリはこんな道を行ったのか…?」
デンジの呟きに反応して、レントラーが振り向く。
鋭い瞳が金色に光っていた。デンジには見えない、なにかを見通しているのだろう。
レントラーが首を振る。
だが首を戻して、再び歩き出す。その歩みは迷っているような足取りではない。
その背を追いながらデンジは考える。
レントラーが否定したのは、『チマリが通った道がこの道』という点だろう。
見通しのきかないこの森には何故か獣道さえなく、小さな子どもが進めるようなところでは無い。
『森の奥に行けそうな気がした』。
チマリが森に誘われたように、もまた森に誘われたのだろうか。そんなファンタジックな、と普段のデンジであれば失笑して流しただろうが、こうして道なき道を歩いていると、そう考えずにはいられない。
「…早く森を抜けよう。レントラー、……?」
突然足を止めたレントラーに、足早に、出来るだけ無音でデンジは歩み寄った。
しかしレントラーは一点だけを見つめながら数歩進み、デンジを護るように前に出ると低く身体を落とし、唸りを上げる。
「何か、いるのか」
デンジの言葉に、レントラーは牙を剥くことで是と返す。レントラーの身体から緊張は解けない。
レントラーの注視する方向に目を向ける。
……、どうして今まで気がつかなかったのか。20メートルほど先で、森が終わっている。
チマリの言葉が正しければあの向こうには草むらがあり、そこには野生ポケモンがいるはずだ。
しかし、この張り詰めた気配とプレッシャー、どう考えても並大抵のポケモンが発するものではない。そしてここにデンジ(トレーナー)がいる限り、敵がどのような攻撃タイプか判明しない限りレントラーは動けない。いまだ威嚇姿勢を解かないのは相手に敵意があるからだ。
まずは相手を確認。そのために森の向こうに行く。そして身を護りつつ、攻撃をする。
同時に二匹の指示することになるが、デンジに出来ないわけがない。
「サンダース、お前のスピードなら間違いなく先制を取れる。レントラー、お前は待機だ。…――『でんこうせっか』!」
サンダースが疾風の勢いで飛び出す。ついでデンジとレントラーも駆ける。
「『アイアンテール』!!」
森を抜ける直前で足を止めた。そこにいたのはサンダースと、
「……いない!?」
草むらにはサンダースしかいない。標的を見失って、サンダースが首を左右に振って警戒している。
「レントラー、」
瞳が金色に輝く。
地上にいないなら地面の下か。透視からは逃れられない。レントラーの瞳が周囲を探る。
相手の姿形をサンダースは見たはずだが、容易には呼び寄せられない。
しかし警戒している辺り、相手は地面タイプではない。そうであればサンダースは何があっても戻って伝えるだろう。サンダースにとって有効な技は『アイアンテール』しかないのだ。
そして。仮に『でんこうせっか』が命中したならば、相手にとっては目下の敵はサンダースのはずだ。デンジの位置はまだ気づかれていないだろう。分析できる。わざわざこちらに引き寄せては意味が無い。
アイコンタクトを取る。
サンダースは頷いて、身体を小さく震わせた。『でんじは』を応用して、静電気を身体の表面に流しているのだ。サンダースはライチュウのような特性『せいでんき』ではないが、後天的に作り出すことはできる。
そして本来の特性『ちくでん』は電気タイプの技を無効化し、同時にHPを25パーセント回復する。時間を要し、しかもその間無防備になるためバトルでは使えない作戦だが、これである程度は持久戦に持ち込め、
ぞわ、と背筋が震える。
「サンダース、…――!!」
草むらの上。
突然、空間を裂くようにして、ナニカが現れた。サンダースからは死角の位置。気づいていない。
そして、デンジの声が届く前に、音も無くサンダースに襲い掛かった。
吹っ飛ぶ。
「ッ、……、レントラー、『かみくだく』!!」
思わずデンジは指示を出しながら木陰から飛び出した。
そしてサンダースの飛んだ方向に駆け寄って、膝をつく。
デンジの手が触れると、サンダースは小さく反応した。――良かった。予期しない方角からきた攻撃を無防備に受けてしまったが、致命傷にはなっていない。
「サンダース、ありがとう。あとはボールの中で休んでいてくれ」
ボールに回収し、顔を上げる。
草むらでは、見たこともないナニカにレントラーの『かみくだく』が命中していた。
ナニカの、苦しげな声が轟く。加えて、攻撃とは別に痙攣している。電気タイプのエキスパートであるデンジには分かる。あれは麻痺だ。
サンダースの『せいでんき』が相手の動きを鈍らせ、急所をはずした。だからサンダースは致命傷にならずにすんだ。間違いなく状態異常になったと考えていいだろう。
そして、『かみくだく』に対するあの反応。
見たことのないポケモンだが『ゴースト』タイプであることは間違いない。形態からして『ドラゴン』も入っているかもしれない。
メインウェポンがさっきの技だとしたら、消えたらすぐにエテボースに交代して無効化するか、
「ッ、考える暇もくれないか!」
地面が揺れた。
咄嗟に跳び退ると、それまでデンジのいた地面が突き出し、岩が反り上がった。逃げる傍から崖が砕け破片が襲い掛かる。敵の発した『だいちのちから』を掻い潜りながら、デンジは指示を出した。
「『こおりのキバ』!」
隆起を避けながら進むレントラーが、バネのように飛び出す。
そのとき、崖の上から黒い影が躍った。そのまま、敵に噛み付かんと跳ぶレントラーの背を踏み台にして更に跳ぶ。
「――ルカリオ、『りゅうのはどう』!!」
閃光、そして爆音。デンジは目を開けていられなくなり、思わず顔を覆った。
2011.09.01.改