失踪から四日目、早朝。
東の方角の海上に浮かぶ太陽に、ユウキの眠気は吹き飛んだ。それから明けゆく街を見て、息を呑んだ。
ホウエンの大自然に慣れた自分には近未来としか思えない街並み。大都会ジョウトで過ごした記憶も残ってはいるが、そのどの街とも違う。
某旅行情報誌によると、道は全てソーラーパネルで覆われ、街の電力の大半を賄っているという。別名『たいようのまち』。日の出がこんなに早いのもきっと関係しているだろう。
見るもの全てが違う。特に頭上の、この今にも発進しそうなタワー。子どものころアニメで見た変形ロボにそっくりだ。
見上げていたら、ダイゴに軽く小突かれた。
「あたっ!」
「口開いてる。疲れた?どうしようか、ホテルで休む?」
「今から?いい、そんなに疲れてないし。ポケセンで十分。あ、メールしとく」
『ユウキです。今、ナギサに着きました。これからポケセンに向かいます。気づいたら連絡ください』
「よし、っと。…――お、」
手の中で携帯が震えた。
『近くに何か目立つものはありますか?迎えに行きます』
『大きなタワーのすぐそばにいます』
「なんだって?」
「迎えにくるって。4時過ぎたばっかなのに、起きてたみたい」
警察も協会も、トレーナーが一人行方不明になったくらいでは動いてはくれない。せいぜい街に駐在するジュンサーが巡回ついでに聞き込みをする程度だ。
だからユウキとダイゴの二人は、ホウエンからシンオウへと赴いて捜索することにした。
ナギサシティへたどり着いた二人は、ナギサジムに迎えられた。
前日にシンオウに向かう旨を連絡しておいたとはいえ、さすがに誰もが眠りについている時間にも関わらず彼は起きていた。
「改めてだけど。はじめましてデンジさん。これ、お土産のフエンせんべい。美味しいよ。それでこっちがダイゴさん。今はこんなんだけど、元チャンピオン」
「ちょっと、こんなんって何?…ツワブキダイゴです、よろしく」
「デンジです。こちらこそよろしく。それで、」
電話で何度か話した仲ではあるが、もちろんこれが初対面である。
元チャンピオンとジムリーダーというそれなりに目立つ役職であっても、さすがに地方が違えば噂でさえもお互いを知らない。敬語に疲れたユウキによって早々に敬語禁止令が発令されたが、いまいち距離を掴み損なっている。
テーブルを囲んで座る。
片側にデンジ、もう片側にユウキとダイゴ。
脇に二人分の旅行鞄。私物の少なさが彼らの旅慣れを物語っている。
テーブルの上に置いてあったファイルを端に避けて、デンジがシンオウ地図を開ける。地図の片側にはすでに結構な量の文字やラインが書き込まれていた。
ユウキは地図を眺める。東西でシンオウを分割するこれがテンガン山だ。事前に調べてはきたから都市名程度は分かる。書き込みは東側に集中している。
そのうち赤丸で囲まれた街を、ユウキは指し示した。
「はこの街…ええと、ヨスガに行くと言ってたんだっけ?ナギサはここで、…この道を通って?」
「いや、こっちの道だ」
ユウキの指した西への道ではなく、デンジは北への道を指す。
「こっちの方が近くない?そっちに行ったのは確か?」
「あぁ。行方不明になる日の朝、トバリに寄ると確かに言っていた。目撃情報もある。それと無関係かもしれないが、4日前の朝、『気になることがある』と言っていたんだ。この道のことかは分からないが、遠回りしてまでいくならこの道に何かがあったと考えていいと思う」
「気になること?」
「あぁ。その内容までは言ってなかったけどな。ただこの道は東側は森、西側は岩の一本道だ。迷うところは無いし、…くんは何度も通ったことのある道だ。一昨日、昨日うちのトレーナーに行かせたが、特に変わったところは無かった」
デンジが傍らのファイルをめくって、214番道路の地図と写真を指し示す。
「うーん…目撃情報によると、この道まではちゃんを見た人がいるんだね。けれどトバリシティの南にいつもいるトレーナーは、ちゃんを見ていない。この間に『気になること』があったのか。それとも巻き込まれたか」
『214番道路 調査結果』と書かれたページに目を落としながら、ダイゴが呟く。
このファイルはデンジが事務業務の傍らジムトレーナーに調べさせた結果や協会からの情報をまとめたものだ。10枚以上のデータが集まってはいる。だがそのどれも直接にたどり着かない。
「それは…――、だが…――」
デンジの調査結果、ダイゴの考察を聞きながら、ユウキがメモを取る。
話が一区切りついたとき、ユウキは顔を上げて、地図の一点を指した。赤字で何重にもラインされた道から外れ、森の深まった一角を指で示す。
「ただの勘だけど、ここが気になるんだ。子どもにしか見えない道だとか、なにかがきっかけで開く洞窟があるかもしれない。ほら、レジアイスの遺跡みたいにさ」
「そういう種類の遺跡がこの地方にもあったとしても不思議じゃないね。シンオウには地底伝説が残っているのだったかな、調べてみる価値はありそうだ」
ダイゴも頷く。そうとなれば当分の行動は決まった。
「ねぇ、テレビつけていい?天気予報が見たいんだけど」
「あぁ。リモコンはそこだ」
「ありがと。ええっと、電源電源…」
『夏休み特集、シンオウむかしばなしの時間です』
「お?」
スイッチが入った途端流れる演技がかったアナウンサーの声に、思わずユウキの手が止まる。画面には『シンオウむかしばなし』の文字。
そのまま彩度が落ちて画面が真っ黒になったかと思うと、大げさなくらいおどろおどろしい映像と音楽が流れ始めた。どうやら子ども向けのアニメが始まるようだ。
ホウエン育ちの二人は、思わず居住まいを正して構える。デンジは慣れているのか興味がないのか、画面を一瞥するとすぐ目線を手元に落とした。
『その ポケモンの めを みたもの いっしゅんにして きおくが なくなり かえることが できなくなる
その ポケモンに ふれたもの みっかにして かんじょうが なくなる
その ポケモンに きずを つけたもの なのかにして うごけなくなり なにも できなくなる』
「うわあ、朝からヘヴィー…」
「夏だからかな。でも、これはむかしばなしっていうより、神話に近いのかな。ホウエンにもこういう系統の伝承はあるけれど、こうしてテレビでやっているのは聞いたこと無いな。文化継承への関心の度合いが違うのか」
無意識に張っていた肩をほぐすように首を捻りながら、ユウキは息を吐いた。ホラーは得意じゃないが結構好きだ。
ダイゴは興味深げに言葉を重ねる。彼はそもそも歴史そのものへの関心が人より強い。ユウキにとっては娯楽でしかない子供向けのアニメも、彼にとっては好奇心を刺激する資料になる。
「天気ニュースは1チャンネルだよ」
デンジの関心のベクトルは、また別らしい。まるで興味を示さない。
シンオウに行くと決めたとき、少し彼のことも調べた。
『ナギサシティのデンジ』。シンオウ最強のジムリーダーと目され、一時期はリーグ挑戦も取り沙汰されていたが、一人の挑戦者との登場によってジムリーダー業に専念するようになったという。
街全体にソーラーパネルを敷いたのも彼。時々停電を起こして困らせてはいるが、街の人からは慕われている。
デンジ、ダイゴ、ユウキ。ここにいる三人は、趣味が違う。出自も全く違う。それなのに三人が三人ともポケモン馬鹿で、たぶん三人とも自分が一番強いと思っている。
だからユウキはふと思う。
こんな事件が無ければ一生出会わなかったかもしれない二人が、今こうして同じ空間にいる。
年齢も、背格好も似た、それなのにまるで正反対な二人だ。
もし彼らが同じ地方に生まれ、チャンピオンを目指すようなことになっていたなら、また面白いことになっていただろう。
「――終日晴れだって。『熱中症に気をつけてください』…?すっげ、こんな涼しいのに」
「トクサネと10度以上違うみたいだね。僕らは逆に風邪引かないようにしないと」
「うん。あ、そろそろお暇しようよ」
テレビの左上で存在感をアピールする時刻を目にして、リュックを肩に掛けながらユウキは立ち上がった。
ダイゴもまた、ビジネスバッグ一つを手に立ち上がる。
ジムの自動ドアを、横に引く。ジムが開かれる時間までは手動に切り替えている。
いつの間にか外はすっかり明るくなっていた。市場が近いのか、活気のある声が響いてくる。
「何か分かったら電話するんで、デンジさんもお願いします」
「あぁ。シンオウで困ったことがあっても電話してくれ。力になれなくて申し訳ないな」
「そんなことないよ、ありがとう。…あー、ダイゴさん、」
「先に行ってるね。ゲートのところだから」
お邪魔しました、とデンジに軽く頭を下げて、ダイゴが背を向ける。
それから姿が見えなくなったのを何度も確認したあと、ユウキはやっと切り出した。
「ごめん、なんかダイゴさんの前だと言い辛くて。――妹が迷惑かけてごめんなさい。それから、今までありがとうございました。ここから先はオレに任せてください。ちゃんと探し出して、謝らせます。だからあいつのこと嫌いにならないでやってください。お願いします」
お願いします、とユウキが頭を下げる。
「頭上げてくれ。謝らなければならないのはこっちなんだ。オレがちゃんと見ていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。もしくんの身に何かあったら…、」
「なんでだよ、どうしてデンジさんが謝るわけ?オレからしたらまだガキだけど、それでもはトレーナーだ。世間的には立派にオトナなんだよ。何があっても自己責任だろ」
それでも物言いたげなデンジに、ユウキは思わずデンジの襟元を引っ掴んで睨み上げた。至近距離で、ブルーの目が揺れる。
「あんたもオトナだろ、もっと堂々としてろよ!それにはこのオレの妹だ。絶対死んでないし、絶対死なないんで。デンジさんの中で勝手に殺さないでください」
手を離す。
自身を引く力が無くなり、デンジは一歩後ずさった。
その襟元に少し皺が寄っているのを見て、ユウキは我に返った。
「……、はっ、…スミマセン、調子乗りました。けど、全部本気なんで」
「……。びっくりした。兄妹って似るんだな。でも、その信頼の強さオレには羨ましいよ」
「何言ってるんですか、デンジさんにだって絶対信頼できる人がいるでしょ?オレは家族とダイゴさんと、オレのポケモン達は何があっても信じる。どんな時でも信じるよ。デンジさんはとバトルしたんだろ、どうだった?自分の身も護れない、弱いガキだった?」
「強かったよ。オレを追い込んだ何年ぶりの挑戦者だった。…そうだな、そうだよな。オレも、は信頼してる。――ありがとうユウキくん、目が覚めた。信頼してるけど、オレも待ってるだけなんて出来ないから」
「ありがと、を思ってくれて」
ユウキはごく小さく呟いた。
届かなくて良い。恥ずかしいから届かなくていいけれど、言葉にしておきたかった。
「?」
「これからもをお願いします。…じゃあオレ、待たせてるから」
背を向けて、ユウキは走り出した。
二代目のデボン製ランニングシューズは彼にもらったものだ。一代目は履き潰して、今は家のどこかで眠っている。
………。
角のところで振り向く。
「それと!デンジさん、あんたシンオウで一番強いジムリーダーらしいけどっ、オレらの父さんも強いから!覚悟しといたほうがいいよ!!」
「おはようございます。今日は一日中晴れだそうですよ、暑くなりそうですね」
「おはよ。まぁ、シンオウじゃ暑くなってもほどがあるけどな」
これ、今朝までに受理したジム挑戦申請者の一覧です。とジムトレーナー・ナズナから名簿を受け取る。
ジム再開の噂を聞きつけ、各地から集まってきたのだろう。結構な数である。なかにはシンオウ以外の出身のトレーナーまで。
新しいバトルフィールドは一番に彼女と対戦したかったが、そうも言ってられないか。
デンジが名簿を流し読むそばで、ナズナは今日の分の書類を取り出す。
「そりゃあそうですけど…あれ?誰かきたんですか?このコップ、」
「悪いけど、それ片付けておいてくれ。オレはちょっと出かけてくる」
「あ、ちょっと!まだ昨日の分が残って」
「机の上。あぁ、それと協会から昨日の夜、申請がおりたって電話あったから。そっちの書類は一番上の引き出しの中。あとよろしく」
「おはようございます。って、あれ、デンジさんは?」
「出かけるって…見てよこれ、また徹夜したのよ。もう、徹夜させずに今日の午後をフリーにする、って、いままで考えて詰めてきたのに。今日は一日戻ってこないわね」
「そっか。まぁ、いままでボクたちが徹夜するな、って散々言っても、デンジさんは聞いてくれなかったけどね」
「趣味で徹夜するダメオトナだもの。あー…」
「「さん、はやく帰ってこないかなー」」
ある日突然現れ、強烈な印象を残してバッチをゲットしていったを、ジムトレーナーは皆いまでも好ましく思っている。
その理由のほとんどは、ジムリーダーであり生活準破綻者でもあったデンジを更生させ、それでいてジム復旧に勤しむジムトレーナー達に慎ましく心配りをする姿勢を評価してのものだった。
けれど、彼女は何故か突然姿を見せなくなった。その理由をトレーナーは誰も知らない。
とうとうデンジさんに愛想をつかせて出ていったんじゃねぇの、とギタリストのミックは茶化したが、誰もそれには頷かなかった。きっと何か急ぎの用があったのだろうと噂をしている。
「そうだ。チマリとマイクが時々いなくなるんだけど、知らない?そろそろ、ジムトレーナーで挑戦者の割り振りをしようと思うんだけど」
「私は知らないわね。あ…でも、デンジさんがふたりに何か言ってるのは見たわ。どこかに行ってるのかしら」
「うん…まぁ、あの二人なら心配いらないか。それより、さんが帰ってくるまでデンジさんのバトルフィールドには誰もたどり着かせないようにしないとね」