『…は?悪い、もう一回言ってくれ。よく聞こえなかった』
電波は良好、ノイズゼロ。アンテナは三本立っている。
おかしくなったのはお前の耳だろと咄嗟に浮かんだ言葉を押さえて、デンジは一度口を閉じた。
自覚している。元から対して長くない感情の導火線が、ここ最近、更に短くなっている。
ジムの復旧が終わってから二日間、ジム閉鎖中、いやそれ以前から溜めに溜めていた事務業務を烈火の如き勢いでこなして来た。
気分転換をと思っても、数いるジムトレーナーの内、エリートトレーナーの肩書きをもつ彼らに昼夜を問わず監視されては、筆を動かすしかなかった。気が抜けるのは寝るときくらいだった。
だから書類提出にと二人ともが部屋を離れたこのタイミングは、神から与えられた『鬼のいぬ間に洗濯』タイムに違いないのだ。無駄に使っていい時間は無い。
「だから、が帰ってこないんだよ」
『ははーん。まぁ九割お前が悪いんだろうけど。で、いつから?』
電話の向こうでニヤニヤと笑っているだろうオーバが簡単に想像できて、とうとう携帯を叩き落としたい衝動に駆られる。
しかし傍でじっと見上げるライチュウの無垢な目に、耐えに耐え、デンジはぼそりと告げた。
「…3日前」
『3!?あの日の朝からってことかよ!お前せっかくこのオーバ様が気を使って二人っきりにさせてやったってのに何言ったんだよ!?』
「耳元で騒ぐな!何も言ってねぇよ!!」
『………』
「…なんだよ」
『それもどうかと思うぞ、デンジ』
「…お前に電話したオレが馬鹿だったな」
今度こそ耐え切れなさそうになかった。
携帯を耳から離し、デンジは電源ボタンに指を伸ばす。――じゃあなオーバ。一生そのツラ見せるな。
『え、おいちょっと待て!――オレ今サバイバルエリアにいるけどよ、しょうぶどころには来てねぇし、召集ねーからリーグにも来てねぇと思う』
デンジの本気が伝わったのか、通話口から焦ったような声が溢れた。
それからすぐにトーンが下がる。一瞬で冷静になったらしい、腐っても四天王、といったところか。ようやくまともに話が出来そうだ。再びデンジは携帯に耳を寄せた。
『は黙って出てくようなやつじゃねぇ、十中八九何か合ったんだろうな。いなくなった日、どこに行くのか位は聞いたんだろ?』
「あぁ。トバリに寄ってヨスガに行くと言ってたよ」
『あの道で迷うようなとこないだろ…。警察には連絡したのかよ。そうだ、トレーナーだし協会にもだな』
「昨日したよ。あと、ヨスガのジムリーダーにもな。ジム戦申し込みの連絡はあったが、来ていないそうだ」
『家族にも連絡入れておいた方が良いんじゃね?…あ、さすがにお前もそこまでは知らねぇか』
「…いや、心当たりはある」
机の上に溢れかえった書類を更にひっくり返し、漁る。
たしかポケモン協会への申請書の中に各支部の電話番号が記載されていたはずだ。そこから辿れば、かの人物に行き着けるかもしれない。
『そっか。頑張れよ。オレも他の四天王やチャンピオンに聞いてみるわ、何か分かったら連絡する。電源入れとけよ』
「サンキュ」
――…見つけた。記憶どおり『ポケモン協会 ホウエン支部連絡先』の文字。
足音が近づいてくる。ジムトレーナーたちが戻ってきたのだろう。
しかし構わず固定電話の受話器を持ち上げ、番号をプッシュする。あ、と入ってくるなり一瞬で眉を跳ね上げたエリートトレーナーに、口の前に人差し指を立てて「静かに」と口を動かす。
固定電話は仕事用。一見仕事をしているように見えるだろう。
そうして、中々折れない事務を突破して手に入れた電話番号。
電話に出れない場所にいることのが多いですよ、との気になる言葉は頭の隅に追いやって、プッシュする。
1コール、2コール、
「―――…はい、ツワブキダイゴです」
「…え、ユウキくん、ですか?」
「なに、オレ?」
ダイゴさん家のソファーに仰向けに寝そべって雑誌を読んでいると、ダイゴの携帯が鳴った。相変わらず色気の無い電子音。
どうせ仕事の話だろうと放置していたら、オレの名前が出た。なんだろ。雑誌を伏せてダイゴを見上げる。
スピーカー部分を手で押さえながら、ダイゴが顔を傾けた。
「ユウキくん、デンジっていう名前の知り合いいる?シンオウ地方のジムリーダーだって言ってるけど」
「シンオウの?…あぁ、がお世話になってる人か。ちょっとは知ってるよ。ほら、ダイゴさんにお願いしてバトルステージ送った人」
「あぁ、ナギサの。もし良かったら電話番号を教えてほしいって。どうする?」
「え、出たほうが早くない?貸して。――もしもし、ユウキです」
ダイゴから携帯を受け取って、耳を近づける。自分の名前を名乗ると、相手は驚いたようで少し黙った。
まさかすぐ傍にいるなんて思いもしなかったんだろう。オレが彼の家に入り浸ってるのは、幼馴染と彼の親友くらいしか知らない。家族は『仲良くしてもらってる』くらいにしか思ってないはずだ。
って、オレの話はどうでもいいか。
デンジと名乗る声は、少しだけダイゴに似てる気がした。
「――いえ、こちらこそ妹がお世話になってます。で、に何があったんですか?」
オレだって頭は悪くない。
がいたらオレに直接かけるだろうに、ダイゴ経由で電話がかかってきたってことは、に何かあったってことだ。それも、ジムリーダーが動くような事態に発展してる。うん、さすがオレの妹。
「ちゃん?」と床に座る男が呟く。
あぁ、そういえばと何度か会わせたことがあったか。が旅に出る前だから、一年近く前になるか。「行方不明だって、」
……。3日前から、か。
警察や協会が動いてくれるのは失踪から7日後。状況は掴めないが、には10日分程度の食料はいつでも持っているよう、昔きつく言ったことがある。今でも守っているなら、一分一秒を争うような事態にはなっていないだろう。
「分かりました、母さんにはオレから伝えておきます。それで…、ええと、デンジさん。今からオレのケー番とアドレス言うんでメモってください」
繰り返して、確認する。初期設定からほとんど変えてないアドレスはシンプルすぎて間違えようがない。
「後でこちらから掛けますんで。……はい、じゃあまた。――…あ、ダイゴさんありがと」
携帯を返す。通話時間がちょっと凄いことになっていたが、庶民感覚を持ち合わせていない彼には生憎痛くもかゆくもない。
「ちゃん、どうしたって?」
「行方不明だってさ。3日前から。あいつ、慎重そうに見えるけど肝心なところで無鉄砲だから。じゃあオレちょっと行ってくる」
「あ、ちょっと待って」
返したばかりの携帯を、ダイゴがプッシュする。シャープ、1。デボンコーポレーション直行便。その間に、伏せていた雑誌をラックに戻す。
「僕だ。例の件なんだけど、先に――うん。それ。…そうだな、二週間くらい。親父にも言っておいて」
「ユウキくん、」
「なに?」
「僕も行くよ、シンオウ」
「は?なんで?」
「旅費、滞在費、その他諸々全部僕持ち。その代わり、ちゃん探しながらでいいから僕の仕事も手伝ってほしいな」
「オッケー、その話乗った」
2011.08.25. 改